【徳島ヴォルティス】行政主導でJリーグに加盟した数少ないクラブ
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今回は徳島ヴォルティスがJリーグに加盟するまでをメインに解説するわね。
徳島ヴォルティスは、徳島市、鳴門市、美馬市、板野町、松茂町、藍住町、北島町、吉野川市、小松島市を中心に徳島県全県をホームタウンとする、Jリーグに加盟するプロサッカークラブ。
2005年からJリーグに加盟したわ。
運営会社は徳島ヴォルティス株式会社。
チーム名称の「ヴォルティス」は、イタリア語で渦を意味する「ヴォルティーチェ」(Vortice)をもとにした造語なの。
豪快な「鳴門の渦潮」のように、パワー、スピード、結束力を兼ね備え、観客を興奮の渦に巻き込むチームを目指す意味が込められているわ。
ホームスタジアムは徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場。
2007年から大塚製薬が徳島県鳴門総合運動公園内のネーミングライツを獲得して、「鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム」になっているわ。
ちなみに徳島県鳴門総合運動公園内の野球場は「オロナミンC球場」、体育館は「アミノバリューホール」、武道館は「ソイジョイ武道館」となっていて、大塚製薬の主力商品名にちなんでいるわ。
聞いたことがある名前ばっかりですね!
ある意味、覚えやすいです。
練習場は徳島県板野町に在る徳島スポーツビレッジ。
天然芝のピッチが2面、人工芝のピッチが1面の四国最大規模のサッカー施設なの。
クラブハウスも徳島スポーツビレッジに併設されているわ。
マスコットキャラクターは2009年に誕生したタヌキのペアであるヴォルタくんとティスちゃんかつては、ホームゲームや徳島県内で開催されるイベントでは、非公式マスコットの「ボール君」がいたけど、ボール君を演じていたスタッフが退職したため、現在は活動していないわね。
徳島ヴォルティスの前身は1955年に創部した大塚製薬サッカー部。
1988年に本社社長の意向で、それまでのサッカー部とは性質の異なる本格的な企業サッカーチームとして、新生大塚製薬サッカー部が新設されたわ。
旧サッカー部と入れ替わる形で徳島県1部リーグからスタートを切ったの。
1989年には四国リーグへ復帰して、4度目のリーグ優勝を果たしたわ。
その勢いのまま、全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝の成績を残して、1990年より日本サッカーリーグ2部へ昇格したの。
Jリーグへは参加しなかったから、1992年に発足したジャパンフットボールリーグ1部へ参加したわ。
1993年9月に、四国から初めてのJリーグチームを誘致するために民間の有志が市民団体を徳島県に結成したわ。
その後、徳島県サッカー協会が主体となって、約24万人もの署名を集めたの。
1993年12月には市民団体や徳島県サッカー協会、徳島県、徳島市、鳴門市から構成される誘致検討委員会が発足したわ。
その際にホームスタジアムとして、名西郡石井町の県所有地に徳島県営のサッカー・ラグビー専用競技場を新たに建設することが決まったわ。
1994年3月に大塚製薬と徳島県と石井町は、大塚製薬サッカー部を母体として、プロクラブを発足させることで合意したの。
1994年から大塚製薬サッカー部を「大塚FCヴォルティス徳島」に変更したわ。
このチーム名は市民からの公募で選ばれたの。
この時はヴォルティスの後ろに徳島がついていたのですね!
この時のヴォルティスのティス(TIS)は、四国各地の旧国名を絡ませていたの。
「T」は土佐の高知県、「I」は伊予の愛媛県、「S」は讃岐の香川県を表していて、その後ろに「徳島」を入れて、四国を代表するサッカークラブを表していたわ。
さらに5月には出資金を集めるための推進協議会が設置されたの。
本格的にJリーグを目指すことになったわ。
あれ?
ヴォルティスがJリーグに加盟したのは2005年ですよね?
Jリーグ昇格までに10年以上かかったのですか?
推進協議会が設置されて、新チーム計画が試算されたの。
年間運営費が20億円以上で、補填が必要な赤字額は年6億円程と見込まれたわ。
この多額の出費に対して、大塚製薬内部で疑問が生まれたわ。
結局、大塚製薬元会長の強硬な反対が決め手となって、1994年9月にはJリーグ準会員申請を断念したの。
推進協議会も運営会社の設立を断念したわ。
新スタジアム構想も立ち消えとなったの。
チーム名だけは「大塚FCヴォルティス徳島」のままだったわ。
大塚製薬は完全にアマチュア路線で行くことを決めていたから、1999年に創設されたJ2へは参加しなかったわ。
それどころか、チーム名を大塚製薬サッカー部に戻したの
「ヴォルティス徳島」の名前で臨む最後の試合は、1998年12月12日の天皇杯3回戦で横浜マリノスへの吸収合併が決まっていた横浜フリューゲルスだったの。
なくなってしまうチーム名同士の対決だったのですね。
一方で徳島県サッカー協会は、徳島にJリーグクラブを作ることを諦めていなかったわ。
プロ化する意思がなかった大塚製薬の代わりに、自前でクラブを作ってJリーグを目指すことにしたの。
2002年に「徳島FCカバロス2002」というチームが発足したわ。
徳島県リーグ3部Bからのスタートだったけど、徳島県サッカー協会のバックアップで早期の昇格を目指していて、ストレートに昇格すれば、最短で2008年にJ2へたどり着ける計算だったわ。
ストレート昇格はなかなか難しいですよね。
でも、このチームがJリーグにいったら、徳島ヴォルティスは出来ていないですよね。
徳島県の知事に就任した飯泉嘉門が、選挙公約に「徳島にJリーグクラブを作る」というのをあげていたの。
飯泉知事は公約通りにJリーグクラブの創設へと精力的に取り組み始めたわ。
県庁内にプロジェクトチームを組織し、自らも大塚製薬や徳島県サッカー協会と交渉を始めたの。
市民や協会から動くのはありましたが、行政から動くのは珍しいですね!
その結果、市民クラブを作り、Jリーグを目指すことになったわ。
大塚製薬はサッカー部を新クラブに移管することになったの。
ホームスタジアムは鳴門陸上競技場を小規模改修で予算を抑えるという案になったわ。
大塚製薬は県知事選挙で、飯泉氏を支援した手前もあったみたいね。
大塚製薬は新会社へ出資することになったわ。
さらにユニフォームの胸スポンサーとして、4億円の年間運営費の多くを負担する事も決まったの。
でも新チームは市民クラブだから、運営会社は大塚グループ傘下から外す事や練習拠点は徳島県が早期に整備して、大塚製薬所有のグラウンドから移転することなどが定められたわ。
チームの名称も「ヴォルティス」の使用を認めたわ。
JFLに所属する愛媛FCがJリーグ昇格に向けて活動中だったこともあり、今回は「徳島」を愛称の前に付け、徳島以外の四国3県を意味していたティス(TIS)と関係づけるのをやめたわ。
今では、愛媛FC以外にも、カマタマーレ讃岐、FC今治もいますからね。
正直、四国に4チームは多いような気がするけどね…。
2004年7月に新チーム名「徳島ヴォルティス」が発表されたの。
9月には運営法人の株式会社徳島ヴォルティスが設立されたわ。
新チームすぐにJリーグ準会員となったの。
2003年のJFLで優勝していた大塚製薬サッカー部は、2004年も優勝してJFL2連覇を達成したの。
1999年、2000年の横浜FCと2001年、2002年のHondaFCに次ぐ、史上3クラブ目の快挙だったわ。
当然、大塚製薬サッカー部のJ2参入が承認され、四国初のJリーグクラブが誕生したわ。
悲願のJリーグ昇格ですね!
Jリーグに昇格したら、アマチュアでやっていた大塚製薬の選手はどうなっちゃうのですか?
大塚製薬の社員選手はJ2参加後に、大塚製薬の出向社員として、2シーズンの猶予が与えられたわ。
その後はサッカーを引退して社業に専念するか、大塚製薬を退社してプロ契約を結ぶかのどちらかを選ぶ事になったの。
そういえば、徳島県サッカー協会が作ったカバロスはどうなったのですか?
徳島県サッカー協会は、当初単独チームでJリーグ入りを目指していた「徳島FCカバロス2002」を徳島ヴォルティスの下部組織に移管する事で合意したわ。
第1種のアマチュアチームの「徳島ヴォルティス・カバロス」となったわ。
将来のプロ入りや国体出場を目指すアマチュア選手によって構成し、プロチームとユースチームの中間的な位置づけとなったの。
その後カバロスは、2006年四国リーグ昇格を機に「徳島ヴォルティス・アマチュア」に、2008年には「徳島ヴォルティス・セカンド」と名称を変更したわ。
でも、四国リーグを代表するチームとなったものの、クラブの財政的な問題により、2010年シーズンをもって休部となったわ。
J2では、中位の成績が多かったけど、2014年と2021年にJ1に昇格しているわ。
でも、J1ではなかなか勝てずに、どちらも1年で降格しているわ。
そうね、この調子で頑張ってもらいたいわね!
それでは、今回はこの辺で。
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