【横浜FC】前編・サポーターがたったの4ヶ月で立ち上げたクラブ!創設経緯を解説!
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横浜フリューゲルスがマリノスと合併した時の動画で、横浜FCって出てきましたね。
横浜フリューゲルスの合併の時に作られたチームって話はしたけど、今回は横浜FC目線で、どうやって横浜FCが創設されたか、どうやってJリーグに昇格したか、そしてJリーグ昇格後のいざこざの解説をするわね。
横浜FCは、前の動画でも少し触れたけど、横浜フリューゲルスがマリノスに吸収合併されたときに横浜フリューゲルスのサポーターが立ち上げたチームなの。
まずは横浜FCの概要からお話しするね。
横浜FCは神奈川県横浜市をホームタウンとするプロサッカークラブ。
2022年現在ではJ2に所属しているわね。
運営会社は株式会社横浜フリエスポーツクラブ社名に横浜フリューゲルスの愛称であった、「フリエ」というのが入っているのが特徴ね。
チーム名の横浜FCのFCはフットボールクラブの略だけど、Fはフリューゲルスの意味も込められているのではないかな?
ホームスタジアムはニッパツ三ツ沢球技場。
日産スタジアムでも試合を開催することがあるわね。
練習場は保土ヶ谷区にある「横浜FC LEOCトレーニングセンター」天然芝と人工芝が各1面のサッカーグラウンド、クラブハウスなどが整備されていて、トップチームに加えて横浜FCユースや横浜FCジュニアユースなどの練習場としても活用しているの。
練習場に関しては、2006年シーズンまでは固定の練習場を持たず、港北区のしんよこフットボールパークなど、横浜市内の施設を転々としていたの。
2007年からかつて横浜フリューゲルスが使用していた、戸塚区の横浜スポーツマンクラブ内のグラウンドを練習場として使用することになったけど、賃貸料が高いことや、練習用のサッカーコートの数が不足していることを理由として、練習施設の移転を模索していたの。
2009年に横浜フリエスポーツクラブが、横浜市水道局西谷浄水場内にある、体育施設の管理事業者に選ばれ、2010年に西谷浄水場内へ、横浜FCの練習場が移転したの。
名称はLEOCが同練習場の命名権を取得しているわ。
クラブマスコットは「宇宙人」をモチーフとしたフリ丸で、創設10周年に当る2008年12月に名称を公募し、2009年1月に名前が発表されたわ。
横浜フリューゲルスが消滅したときにできたチームってことは分かっているのですが、どういう経緯で設立されたのですか?
1998年、親会社の撤退に伴い、横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併されることになって、これに反対するサポーターに選手も加わって、クラブ存続を求める署名と募金活動が行われたの。
しかし合併取り消しは実現せず、天皇杯での優勝を最後に、横浜フリューゲルスは消滅することとなったわ。
一方で愛するクラブを失われたサポーターによって、「フリューゲルスを存続させる会」が設立されたの。
代表には初代横浜FC社長で、横浜フリューゲルスのサポーターだった辻野臣保が就いたわ。
「フリューゲルスを存続させる会」はフリューゲルスという名前を取り戻そうと、日産自動車や横浜マリノスと交渉したわ。
結果はダメだったの。
そもそも、名前を取り戻したところで、その名前をつけるチームがいないわ。
と言われたの。
そこで、「フリューゲルスを存続させる会」は前代未聞なことを考えたの。
親企業の経営に左右されない市民クラブの設立と、翌年1999年からのJ2への参加に向けて動き出したの。
そこで、新チームを作るために、「フリューゲルス再建評議会」が結成されたわ。
さらに「フリューゲルス再建基金」を設立して、募金や寄付金を募ったの。
「フリューゲルス再建基金」には、2週間で6,700万円ほどの寄付金が集まったわ。
結構な金額が集まりましたね。
そのお金が運営会社設立に充てられたのですね?
「フリューゲルス再建基金」は、新しく出来たチームにフリューゲルスという名前をつけて、興行的にも復活させるための基金なの。
新チームを作るために集められたお金ではなかったわ。
そうなんですね!
では、どうやってチームを作ったのですか?
まずは、運営会社を作って、法人化しなければいけなかったわ。
でも、株式会社を作るにあたって、1,000万円の資本金が必要だったわ。
存続させる会のメンバーで会議が開かれたわ。
場所は深夜の桜木町のバーミヤン。
でも、金額が大きかったから、良い返事をする人は少なかったわ。
結局、辻野のはじめ、存続させる会のメンバーや関係者の計6人が170万円ずつ出し合うことになったの。
そして、12月26日にJリーグに対して要望書を提出したの。
内容は、新チームを作るから、J2から参加させてほしいといった内容ね。
28日に川渕チェアマンの名で回答があったわ。
現在Jリーグを目指している他チームとの関係において、活動実績のないチームが、J2に加入することは不可能との事だったわ。
ただし、新チームの状況次第では、JFL以下どのカテゴリーに属するかは、Jリーグとして助言・協力は惜しまないとの回答だったの。
でも、Jリーグからの後押しはもらったわ。
辻野はJFLからの参加を目標としたの。
JFLからの参加であれば、翌年にはJ2に昇格できるかもしれないですね。
なにも見えない状況から、少しずつ道筋が立ってきたわ。
そして、1999年1月に「株式会社横浜フリエスポーツクラブ」を設立したの。
代表には辻野がなったわ。
運営会社は設立したけど、どうやって選手を集めるかが問題だっだの。
そうですよね。
会社があっても、チームがないとダメですもんね。
そんななか、外資系のスポーツマネジメント会社の「IMG」がコンタクトをとってきたわ。
タイガー・ウッズとか、世界中のアスリートのマネジメントをしている会社ね。
IMGは「必ずチームを作らせる」と言ってきたわ。
最初はIMGの要求に難色を示したけど、何度か交渉して、条件を緩和させて、辻野はIMGと契約することにしたの。
そして、その「IMG」が連れてきたのが、奥寺康彦とピエール・リトバルスキーだったの。
そして、奥寺康彦をゼネラルマネージャー、リトバルスキーを監督として、チームを発足させることになったわ。
奥寺とリトバルスキーは、選手探しに翻弄することになったわ。
最終的には元柏レイソルの有馬賢二など、Jリーグ経験者を17人内定したわ。
いきなり「プロサッカーチーム」と呼べる陣容を作り出しましたね。
横浜という地域に密着したクラブを目指すためには、誰にでも覚えてもらえるシンプルで、それでいてすべてを表現している、心地よい響きになるようなネーミングという事で、採用されたみたいね。
これで、運営会社を設立して、チームもできましたね。
でも、ホームスタジアムや練習場、スポンサー探しなど、まだまだ問題は山積みだったわ。
スポンサー探しはIMGに任せていたようだけど、中でも問題だったのは、どのカテゴリーから参加できるか?
だったわ。
奥寺にしても、リトバルスキーにしても、GMや監督を引き受けるための条件が、「JFLからの参戦」だったの。
神奈川県の場合は新規参入チームは、3部リーグからスタートするのが決まりで、1年ごとにステップアップしても、J2参加には最短でも7年かかるわ。
辻野は日本サッカー協会にJFLからの参入を要望したわ。
日本サッカー協会は検討委員会を開催して、横浜FCのJFL参加の検討を行ったわ。
1時間40分にも及ぶ会議の結果、特例として準会員の立場で、1999年のJFL参入という結論を検討委員会では出したわ。
但し、日本サッカー協会の理事会の承認を得ることは必要だったの。
残すは、日本サッカー協会のトップが承認すればよいのですね。
ただ、1999年2月12日に行われた理事会は、かなり荒れたようなの。
理事会が問題にしたのは、正式契約した選手がいない。
スタジアムが確保されていない。
はっきりとした運営組織がない。
JFLからの正式加盟承認がない。
資金的裏付けが決定していない。
などの問題がでたわ。
なかなか厳しいですね。
でも、完全に拒否されたわけではないのですね。
これらの問題が2月26日までにクリアされたら、承認するってことだったわ。
横浜FCは26日までに、内定が決まっていた内の14人の選手と契約を完了させて、さらに8人の候補選手とも契約を進めていたわ。
ホームゲームのスタジアムについても確保をするなど、約2週間でこれらの問題を全てクリアしたの。
そして、3月5日に日本サッカー協会の理事会で、全会一致でJFL参加が承認されたわ。
まったく実績のないチームだったから、まずはJFLでやっていけるかテストってことだね。
仮に2位以内になっても、J2に昇格することはないわ。
1999年シーズンのJFLで4位以内に入ること。
5位以下の場合は、全国地域リーグ決勝大会に参加して、3位以内に入ること。
逆に言うと、「正会員」になれなかったら地域リーグに降格の可能性もあったわ。
横浜FCを入れて、9チームしかなかったからね。
ちょうど、J2が新設されたタイミングで、J2に行ったチームがあったから、JFLのチーム数は少なかったの。
JFLから参加できることになり、正式にチームはスタートすることになったわ。
フリューゲルスの合併発表から僅か4か月でチームを作った、サポーターの熱意はすごかったわ。
チームの運営費ってどこから捻出しているのですか?
フリューゲルス再建基金からですか?
フリューゲルス再建基金はフリューゲルスの復活に使うために集めたお金だから、横浜FCの運営費には使えないわ。
実は横浜FC立ち上げ時の費用に、再建基金から2,000万円ほど使っていたけど、横浜FCへの貸付という形をとっているわ。
もちろん、運営費はスポンサーがメインになるわ。
CITIBANKやBOSCHなどの企業が、最初のスポンサーに就いたのもあるんだけど、横浜FC独自の「ソシオ・フリエスタ」という会員組織が、運営費を捻出していたの。
ソシオは会員から集めた会費を基として、サッカークラブを中心とした様々なスポーツクラブ活動をする制度ね。
特徴は、会員になればチーム強化や人事等について関与できることね。
当時のスペインのFCバルセロナがモデルとされているわ。
横浜FCも創設当初からソシオ(会員)を募集して、会員は会費をクラブに納める見返りとして、希望者への年間指定席の斡旋の他、試合会場や各種イベントでの運営アシスタントへの登録や、クラブ上層部との意見交換会などに出席できる権利を得ることが出来たの。
でも、ソシオ・フリエスタについても問題があったの!
ソシオ・フリエスタ問題や横浜FCのその後については後半で!
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