ジュビロ磐田・2000年代前半の強豪クラブから一転、J1J2のエレベータクラブへ。いったいなぜ?
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ジュビロ磐田ですか?
今年J1に昇格したチームですよね?
最近はJ1とJ2を言ったり来たりしているけど、昔は史上最強と言われていた時代もあったのよ。
昔はゴン中山をはじめとして、日本代表選手が揃っていて、すごかったのよ!
今日はジュビロ磐田について解説するね!
まずは、クラブの歴史について説明するね!
チームの前身は、1972年に創部された、ヤマハ発動機サッカー部。
今でもヤマハがメインスポンサーだから、そのイメージが強いわね。
1980年代には、Jリーグの前身の日本サッカーリーグの1部に定着するわ。
ちなみにゴン中山こと、中山雅史は1990年から所属していて、日本代表にも選ばれているわ。
Jリーグに入る前から所属していたんですね、意外です!
まだ当時チームが完全にプロ化されていなかったから、サラリーマン生活も経験したそうよ。
そして1993年、チーム名が一般公募で「ジュビロ磐田」に決定したわ。
意味はポルトガル語とスペイン語で「歓喜」を意味する言葉の組み合わせよ。
ホームタウンは静岡県磐田市で、ホームスタジアムはヤマハスタジアム。
スタジアムはヤマハ発動機が所有し、スタジアムの運営管理もヤマハ発動機が行っているわ。
自治体所有のスタジアムじゃないなんて珍しいですね!
マスコットは「ジュビロくん」と「ジュビィちゃん」。
静岡県の県鳥の”サンコウチョウ”がモチーフなの。
ジュビロくんの性格はチーム名(歓喜)に表されるように、底抜けに明るく情熱的。
チャームポイントはスピーディー&トリッキーな動きらしいわ。
ジュビィちゃんは女の子らしい華やかな動きね。
1993年にJリーグが発足するけど、オリジナル10からは漏れてしまうわ。
やっぱりスタジアムが整備されていなかったことが大きかったみたいね。
ジュビロ磐田は、既に日本サッカーリーグ1部の強豪チームだったけど、この点で、同じ静岡県でも、完成したばかりの日本平運動公園球技場があった清水エスパルスに先を越されてしまうわ。
ちなみに1992年の時点で、清水エスパルスはまだ静岡県リーグ所属だったよ。
実力は十分だけど、環境が追い付いていなかったんですね、、
やっぱり同じ静岡県のライバルチーム同士だし、このことは因縁にもなっているみたいね。
だけど、1993年にはスタジアムの改修も完了し、JFL準優勝で翌1994年からのJリーグ参加を決めるわ。
1994年には、元日本代表監督のオフトを招集。
のちに日本代表に選ばれる藤田俊哉・奥大介・田中誠がルーキーとして入団し、さらにシーズン途中には、元イタリア代表のスキラッチ、ブラジル代表のドゥンガを獲得したわ。
まあ、それでもこの年は年間8位で終わってしまうんだけどね。
この頃は他のチームもスター選手を多く招集していたからね。
1995年には、名波浩と福西崇史が入団。
1996年には元々練習生で参加していた服部年宏が加入するわ。
わたしでも知っているような、日本代表のすごいメンバーばっかりじゃないですかー!
ジュビロ磐田のすごいところは、ほとんど生え抜き選手で代表クラスのメンバーをそろえたことね。
また、地元静岡県出身者も多く、サッカー王国の強みを発揮しているわ。
成績の方は、1995年は年間6位、1996年は4位と、リーグ全体のチーム数が増えている中、着実に成績を伸ばすわ。
そして、1997年、2ステージ制の1stステージでは6位で終わったんだけど、2ndステージを制覇し、チャンピオンシップで、1stステージ優勝の鹿島を破って年間王者となるわ。
Jリーグ入りはすんなりとはいかなかったけど、そのあとは順調ですね!
そしてここからジュビロの黄金期といわれる時代が来るわ!
1998年には1stステージ優勝、2ndステージは惜しくも2位で、チャンピオンシップは鹿島に負けてしまったんだけど、ジュビロの選手たちの活躍はものすごかったわ。
まず、中山が27試合で36得点を取って得点王、今でもJリーグ最多記録よ。
1試合で5得点する試合もあったわ。
さらに4試合連続ハットトリックで、当時ギネスブックにも載ったわ。
日本が初出場したフランスワールドカップに中山、名波、服部が選出、ブラジル代表にドゥンガも選出されたわ。
チームとしては、34試合で107得点、得失点差+68は今でもJ1歴代最高記録よ。
1試合あたり3点以上取るって考えられないですね、、
90分以内の勝利26勝は、2020年の川崎と並んで最多タイ記録なの。
カップ戦では、この年にナビスコカップに初優勝しているけどね。
そして1999年は順調に1stステージを優勝。
ところが2ndステージでは12位になってしまうわ。
名波がイタリアに移籍してしまったことと、中山が大けがをしてしまって、欠場したことが痛かったわ。
そしてチャンピオンシップでは、因縁の清水エスパルスが対戦相手となるわ。
チャンピオンシップはホーム&アウェイで行われるんだけど、まずホームで行われた第一戦、怪我から復帰した中山の2ゴールで、2-1で勝利、アウェイの第二戦、1-1で延長戦になり、優勝目前というところでゴールを決められてしまい、延長Vゴールの規定で清水の勝利となり、PK戦にもつれ込むわ。
そしてPK戦でGKの尾崎が2本PKをストップし、年間王者になったわ!
やっぱり清水との頂上決戦を制するのは、サポーターとしても特別だったはずよ。
さて、その後なんだけど、2000年は4位、2001年は1stステージで優勝するけど、年間王者は逃してしまうわ。
2002年は1st、2ndステージ両方で優勝して、年間王者となるわ。
この年は、高原直泰が26得点で得点王、ベストイレブンにジュビロから7人も選出されるわ。
ちなみに高原直泰もジュビロ磐田にはルーキーで加入した選手よ。
高原直泰もこの年でドイツに移籍してしまうんだけどね、強い選手を抱える宿命だね。
2003年、この年は1stステージ、2ndステージどちらも2位で優勝は逃してしまったの。
ただ、天皇杯で初優勝を果たして、これで3大タイトルをすべて制覇したわ。
ところが、次の年から成績に陰りが出てきてしまうの。
黄金期を支えて活躍してきた選手が高齢化してきたんだね。
なかなかそれに続く選手たちが出てこなかったこともあるわ。
2005年には代表の川口能活や、村井慎二、茶野隆行を補強して、これまでの選手たちだけに頼らない体制を作ろうとしたのよ。
しばらくは1桁順位で持ちこたえていたのよ。
ところがついに2008年、駒野友一を補強したりはしたんだけど、16位で、J2との入れ替え戦に回ってしまったの。
相手はベガルタ仙台だったんだけど、地元浜松市出身の松浦拓弥の3ゴールの活躍で、1勝1分で残留を決めたの。
2009年以降、これまた生え抜きの選手でもある、前田遼一の4年連続の2桁得点の活躍もあって、しばらくは中位で持ちこたえるわ。
2010年にはナビスコカップも優勝して、7年ぶりのタイトルを獲得するの!
そして前田遼一がMVPに選出されたわ。
2011年は8位、2012年は12位でフィニッシュしたわ。
そして2013年、日本代表の伊野波雅彦と安田理大を獲得したの。
ところがリーグ戦は7節まで勝利無しで最下位に沈んだ後、9節の後に森下監督が解任。
その後元U-23代表監督の関塚隆監督が就任したけど、勢いは回復せず、早くも第31節で降格が決まってしまったの。
このチームは大型補強をしても、なかなかチーム全体ではうまくいかないケースが多いわね、、初のJ2降格となったジュビロ磐田だけど、2014年には、シャムスカを監督に招へいするわ。
2008年に大分トリニータをナビスコカップ優勝に導いた監督よ。
地方クラブの大分をタイトルに導いたのはすごいですね!
ところが、成績はなかなか上向かずに、9月に解任されてしまうわ。
そこでクラブの歴史をよく知る、名波浩が監督に就任するわ。
結局、自動昇格はできず、昇格プレーオフ圏内の4位でシーズンを終えたわ。
プレーオフの第一戦で、6位のモンテディオ山形とホームで戦うことになったわ。
試合は前半に先制されてしまうけど、前半終了間際に追いついて、そのまま試合終了で勝利を迎えようとしていたわ。
プレーオフのルールで、引き分けならシーズン上位のチームが勝ちあがることになっているの。
ところが、試合終了間際に、山形のGK山岸にゴールを決められたの!
ゴールキーパーがゴールを決めることなんてあるんですか?
セットプレーでヘディングでゴールを決められてしまったのね。
それで1年での復帰は逃してしまったの。
山形ば勝たなければ次がなかったからね。
ジュビロ磐田からすると、奇跡を起こされてしまったことになってしまったわ。
そして2015年はのちにJ1でも活躍する、カミンスキー、アダイウトン、ジェイらを獲得するわ。
最終節まで大宮、福岡と自動昇格を争うんだけど、最終節で大分に勝利して見事に2位となり、今度は自動昇格を決めるわ!
J1から降格したチームの傾向として、2年以内に戻れないとずるずる上がれないことが多いから、2年で復帰できたのは大きいと思うわ。
2016年に戻ったJ1では、年間14位、2017年には中村俊輔、川又堅碁らを獲得。
中村選手の獲得には、背番号10の中村選手の名前が入ったジュビロのTシャツを作って名波監督自ら、中村選手の所に押しかけて口説き落としたそうよ!
その成果もあって、年間成績では6位まで躍進するわ!
特にシーズン中盤に6連勝したのが大きいわね。
ところが2018年、けが人が続出した影響もあり16位に沈んでしまうわ。
それでも10勝11分しているから、極端に悪かったわけではないんだけど、この年は16位としては、J1が18チームになってからはもっとも勝ち点が高いラインだったの。
J1参入プレーオフでは東京ヴェルディに勝利し、残留を決めたわ。
ただ、次の2019年は総得点29という極端な得点力不足になってしまうの。
名波監督も途中で解任されてしまうわ。
その後も監督がころころ変わってしまい、なかなか戦い方も安定しなかったの。
そして最下位になってしまって、2度目の降格が決定。
まあそれでも、最下位チームとしては1999年以降で最多の勝ち点だったんだけどね。
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なんかそういうケースが多いですね、、運が悪いというか。
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2度目のJ2での戦いだけど、2020年は6位でシーズンを終了。
この年の10月に遠藤保仁が加入するわ。
そして2021年、シーズン最初はつまずいてしまうけど、夏場には8連勝を記録して首位に立つわ。
ベテラン遠藤の大黒柱としての活躍も大きかったわね。
2022年は再びJ1での戦いになるわね。
どこまで戦えるか楽しみだわ。
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