【しくじり解説】ヴィッセル神戸・経営危機から脱してJリーグ屈指のタレント集団へ!ヴィッセル神戸を解説!
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ヴィッセル神戸ですか?
イニエスタ選手がいるクラブですね!
そんなヴィッセル神戸だけど、一時はクラブが消滅しかけるところだったの。
それじゃ、今日は「ヴィッセル神戸」について解説するね。
お願いしまーす。
まずは、ヴィッセル神戸の経歴から。
川崎製鉄水島製鉄所(現JFEスチール)のサッカー部として1966年に創部。
本拠地は岡山県倉敷市だったの。
1978年に中国サッカーリーグに昇格。
1980年に中国リーグで初優勝し、全国地域サッカーリーグ決勝大会に初めて出場したけど、グループリーグで敗退したわ。
1985年、中国リーグで5度目の優勝。
全国地域サッカーリーグ決勝大会は、グループDを2戦2勝の成績で決勝ラウンドに進出。
決勝ラウンドは2勝1敗の2位の成績で、規定により1986年からの日本サッカーリーグ2部への昇格が決まったわ。
1992年以降はジャパンフットボールリーグ(JFL)に参加したわ。
いっぽう、神戸では1993年12月に「神戸にプロサッカーチームをつくる市民の会」が地元市民の有志により発足したの。
市民の会は川崎製鉄水島サッカー部の誘致活動を行ったわ。
川崎製鉄本社の意向もあり、1995年からの神戸市へ移転が決まったの。
1994年には当時、神戸市に本社を置いていた総合スーパーのダイエーがメインスポンサーとなり株式会社神戸オレンジサッカークラブを設立。
クラブ名称が「ヴィッセル神戸」に決定したわ。
チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語。
「勝利の船出」を意味し、国際港湾都市である神戸をイメージしているの。
神戸市民の夢を乗せ、勝利に挑戦し続けるチームである事の誓いもこめているわ。
1995年1月1日より兵庫県神戸市に本拠地を移し、親会社となる川崎製鉄からも離れてヴィッセル神戸となり、企業クラブとしての歴史に幕を下ろしたの。
そうなの。
ヴィッセル神戸は市民クラブとして新たなスタートをきったわ。
そしてもう一つ、川崎製鉄水島サッカー部にはリバー・フリー・キッカーズという、水島2軍と称されたチームもあったの。
このチームは、故障などにより川崎製鉄水島サッカー部より離脱した後もサッカーを継続していきたいと望む選手や、逆に同部への移籍を望みながらも、実力等の面からそれが果たせない人員の受け皿として、川崎製鉄水島サッカー部のOB有志によって1975年に結成されたわ。
1995年のヴィッセル設立時には、有志チームである事を理由に倉敷市水島にとどまったけど、ヴィッセルからの退団選手などの受け入れは続けたの。
また、川崎製鉄水島サッカー部が残した市民支援や、地域に根付いていた年少者の育成システムなどは、リバー・フリー・キッカーズが受け継いだわ。
この歴史の流れから、岡山県周辺域においてはヴィッセルと並び、川崎製鉄水島サッカー部の流れを受け継ぐチームのひとつと見なされているの。
2003年に同チームを中核として、ファジアーノ岡山FCが発足し、これに伴い川崎製鉄水島サッカー部から続いたヴィッセル神戸のOBチームおよび、調整チームとしての役割を終えたわ。
ヴィッセル神戸とファジアーノ岡山は、兄弟チームみたいな感じだったんですね。
そうして見ると、クラブの歴史って面白いわね。
話をヴィッセル神戸に戻すと、1995年1月1日、ヴィッセル神戸としてスタートしたけど、練習初日であった1月17日に、阪神・淡路大震災が発生し練習どころではなくなったの。
約1ヶ月後に岡山県倉敷市のグラウンドで、やっと初練習を行えたわ。
クラブの象徴的存在となり、「ミスター神戸」と称された、FW 永島昭浩が加入したのもこの年ね。
テレビのスポーツコメンテーターでおなじみですよね。
1996年には、JFLのリーグ後半戦となる16節を前に、当時デンマーク代表のミカエル・ラウドルップが加入したわ。
永島昭浩と良いコンビネーションで、JFLを準優勝し、Jリーグ昇格を果たしたの。
Jリーグ加盟後も2001年には京都を退団したFW三浦知良、MF望月重良、DFシジクレイ、清水からMFサントスらが加入。
神戸ウイングスタジアムのこけら落としとなった試合では、クラブ史上最多の3万813人を動員したの。
実はそうでもなくて、Jリーグ加盟時にはクラブの財政はボロボロだったの。
1995年に運営会社の筆頭株主だったダイエーが、震災の影響で運営から撤退したの。
ダイエー撤退後も神戸市はヴィッセル神戸を「復興のシンボル」として、金銭面の支援を続けてきたの。
伊藤ハム、ノーリツなどのスポンサーも支援してきたけど、メインとなるスポンサーは現れずに苦しい経営が続いたわ。
Jリーグ昇格1年目の1997年末時点での累積赤字は、約25億円だったの。
なかなか強化費に充てることができずに、広告収入や集客力を失う悪循環が続いたの。
さらに1998年シーズン終了後には、伊藤ハムがユニフォーム胸スポンサーから撤退。
この補填のため神戸市から9億円の無利子融資を受けたが、条件としてチームのリストラを要求される他、運営会社も減資を行い、年間予算も13億円まで大幅に切り詰めたの。
母体企業を持たないヴィッセル神戸の年間予算は、他クラブと比較しても少なく、年間入場者数も伸び悩んだ為、不足分を神戸市からの貸付に拠らざるを得ない経営が続き、年度ごとに額を増やしながら借入を繰り返したわ。
そして、2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は、民事再生法の適用を申請したわ。
累計赤字は約42億円で、神戸市からの融資は約15億円にのぼったわ。
民事再生法の適用って事は、事実上、倒産ってことですよね?
民事再生法の適用は、新運営会社を立ち上げるために必要だったの。
民事再生法の適用で、神戸市からの融資の約15億円の借金が帳消しになったわ。
そして、楽天代表取締役 三木谷浩史の個人資産管理会社、クリムゾングループが受け皿となる新会社を設立したの。
楽天市場を運営する三木谷浩史社長が神戸市出身で、水面下で交渉を進めてきたらしいわ。
クラブ側が要望したチーム名、ホームタウンを変更しないなどの条件で合意したわ。
ただ、すべてはJ1残留を前提とした交渉で、降格ならチーム消滅の危機だったの。
楽天が買収したと思ってたのですが、三木谷さんの個人資産管理会社が買収したんですね。
今では、この時に設立した会社を楽天が買収しているから、楽天がヴィッセル神戸の運営に参画しているわ。
三木谷浩史社長はヴィッセル神戸を買収した理由について、10年間で築き上げたベースの上に、クラブとして次のステージへ挑戦し、アジアナンバーワンクラブ・世界に通用するクラブを目指すために、クラブ経営基盤をさらに強化・安定化することが肝要であると考え、今回の決定に至りました。
と語っているわ。
神戸市はチーム運営から撤退し、スタジアム使用などの側面支援を行う事になったわ。
この頃のベンチャー企業は勢いがあったわ!
楽天は同じ年にプロ野球の球団も立ち上げたからね!
ユニフォームもユベントスの様な、白と黒のストライプから楽天のイメージカラーのクリムゾンレッドに変更されたわ。
その後も2006年、2013年にJ2に降格するけど、1年でJ1復帰を果たしているわ。
2018年にはFCバルセロナから、スペイン代表MFアンドレス・イニエスタを獲得!
これは衝撃でしたね!
まさかJリーグで、イニエスタのプレーが見れるなんて思ってもなかったので。
ヴィッセルサポーターだけでなく、日本中のサッカーファンが注目したからね。
これも楽天効果ね!
まず、イニエスタ自身や家族が日本が好きと言うのがあげられるわ。
さらにイニエスタの移籍に関しては、楽天の三木谷浩史会長が直接交渉したみたいなの。
イニエスタがどうして欲しいのか、イニエスタにヴィッセル神戸が与えられることなど、熱心に語ったそうよ。
三木谷会長の熱意にイニエスタは応えたの。
イニエスタは、ヴィッセル神戸入団に関して、こう語っています。
幸運なことに色々なオファーがあった。
私に関心を持ってくれた他のクラブにも感謝したい。
私がヴィッセル神戸に決めた理由は、提示されたプロジェクトが非常に興味深かったからだ。
私に対して人として、プレイヤーとして信頼を持ってくれたことが大きかった。
三木谷会長は神戸にとって、彼のキャプテンとしてチームを率いてきた哲学やバルサの持つDNAが注入されるような大きな刺激になると思う。
イニエスタ選手には、単にチームの力の向上だけでなく、ユース年代のアカデミーのメソッド導入を含め、次世代への育成に大きく期待をしている。
世界最高峰のプレースタイルと技術を日々、実際に目の前で見ることができる。
新ヴィッセル神戸として、アジアNo.1クラブになることを本気で目指していきたい。
と語り、イニエスタに神戸全体のレベルアップを託したわ。
2021シーズンはシーズン途中に、古橋がスコットランドのセルティックへ移籍したけど、元日本代表FW武藤嘉紀、ブレーメンから日本代表FW大迫勇也を獲得したわ。
その甲斐もあって、2021シーズンはJ1を3位で躍進したわ。
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