【しくじり解説】J2の泥沼にはまるジェフ千葉!10年以上J1に昇格できていない!
このブログの内容はYoutubeでも、ご視聴いただけます。
今日は「ジェフユナイテッド市原・千葉」について解説するわ。
今はJ2だけど、Jリーグ発足前の日本リーグ時代は強豪クラブだったし、Jリーグ発足時に最初からいる伝統があるクラブなのよ。
今日はそんな伝統がある「ジェフユナイテッド市原・千葉」がどのように低迷していったかを解説するね。
ジェフユナイテッド市原・千葉は、1946年創部の古河電気工業サッカー部が前身であり、1993年のJリーグ開幕時より加盟している10クラブ、通称オリジナル10のひとつなの。
ホームタウンは2002年まで千葉県市原市、2003年から市原市および千葉市へ広域化されたわ。
なお、クラブの呼称は当初ジェフユナイテッド市原だったけど、2005年シーズンから現在のジェフユナイテッド市原・千葉になっているわ。
ホームスタジアムはフクダ電子アリーナ、練習場はユナイテッドパークで、クラブハウスも同地に立地しているの。
1970年代~80年代ブンデスリーガで活躍し、UEFAチャンピオンズカップで、アジア人選手初得点の記録を持つ、奥寺康彦が初代ジェネラルマネージャーに就任。
運営会社はジェフユナイテッド株式会社で、JR東日本と古河電気工業が50%ずつ出資しているの。
クラブ名の「ジェフユナイテッド」は、クラブとホームタウンの結びつき、チームの協調・連帯感を表現しており、1991年に公募で決定されたの。
なお、JEFは、クラブの母体となった、JR-EAST(=JR東日本)とFURUKAWA(=古河)の頭文字をとってつけたとの話もあるわ。
ちなみに日本リーグ時代は三菱重工(現・浦和レッズ)や日立(現・柏レイソル)と共に丸の内御三家と言われ、JSL優勝2回、天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝4回、JSLカップ優勝3回の成績を収める強豪クラブだったの。
また、アジアクラブ選手権1986-87で優勝し、日本のクラブとしては初めてとなるアジアタイトルを獲得したのよ。
昔は強かったんですねー。
ってゆーか、丸の内御三家って何ですか?
丸の内御三家は、Jリーグ開始以前の日本サッカー界において、日本サッカー協会 (JFA) の意思決定に強い影響力を持っていた古河(ジェフユナイテッド市原・千葉)、三菱(浦和レッズ)、日立(柏レイソル)の3クラブで構成される協会内の派閥よ。
いずれも東京都千代田区の丸の内に本社を構えていたことから、丸の内御三家と呼ばれるようになったわ。
そんなに日本サッカー界に影響力があるクラブだったんだ!
そうなの!
伝統があるグラブなのよ!
Jリーグ創設の際のホームタウンについては、古河の拠点としていた横浜市とは別の場所を選定することになり、一時は千葉県習志野市の習志野市秋津サッカー場を本拠地にすることが内定したものの、騒音問題などを危惧した周辺住民からの反対運動により断念。
最終的に千葉県市原市をホームタウンとすることが決定したわ。
だた、Jリーグになってからは、たいして強いチームではなくて、順位は中位から下位をさまようクラブになってしまったわ。
でも、観客動員は1993年がヴェルディ川崎に次いで2位。
1994年はV川崎とガンバ大阪に次ぐ3位で、平均入場者数が2万人を超えていたが、1997年から2005年までの9年間は、年間入場者数がJ1最下位だったの。
理由は色々あるんだろうけど、スター選手がいなくなったのが1番なのかな?
元ドイツ代表のリトバルスキーとか城彰二とか。
でも、2003年から名門復活の兆しが見え始めるの。
元ユーゴスラビア代表監督のイビチャ・オシムが監督に就任したのよ。
オシム監督って、あの日本代表監督だったオシム監督ですか?
チームはユース出身の阿部勇樹がキャプテンとなって、1stステージが3位、2ndステージは優勝した横浜F・マリノスと同勝ち点の2位、年間総合3位の成績だったのよ。
でも、翌年の2004年は1stステージはちょっと低迷して7位。
2ndステージは巻き返して、優勝した浦和と勝ち点差9の2位でフィニッシュしたわ。
2005年は、序盤は出遅れるも、混戦となった中盤から徐々に追い上げ、最終節まで優勝争いに加わり、年間成績は2年連続の4位。
ナビスコ杯では、初優勝を達成するとともに、Jリーグ加盟後初となるタイトルを獲得した。
また、2003年1stステージ第5節の横浜Fマリノス戦以降、ホームの市原臨海において、リーグ戦は2005年の第20節のセレッソ大阪戦で敗れるまで31試合無敗だったの。
っと、思ったのもつかの間、2006年に大事件が起きたの。
2006年のFIFAワールドカップ終了後の7月、オシムが日本代表監督に就任したの。
日本サッカー協会に引き抜かれた格好となり、無条件で監督を引き渡したクラブに選手・サポーターなど内外から多くの批判が届いたわ。
この際に「クラブとJFAが取り合うことで、最悪の結果、オシムが日本を去る事だけは避けたい」とした旨がフロント陣から発表された。
日本サッカー協会は、かなり強引に引き抜いた感じだったわ。
ちなみに、この時の日本サッカー協会会長は川渕三郎だったわ!
後任にはイビチャ・オシムの息子であるアマル・オシムが、コーチから昇格して就任したわ。
ナビスコ杯で鹿島を破り、2連覇を果たした一方、リーグ戦は11位、天皇杯はJ2札幌に初戦で敗退。
クラブ初の国際試合となったA3チャンピオンズカップ2006は、1勝1分1敗で3位の成績だったわ。
余談だけど、2006年10月に日本リーグ時代に全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件を起こした唐井直がジェネラルマネージャーに就任したわ。
全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件は、以前このチャンネルの動画で扱いましたね!
詳しくはこちらの動画を見てくださいね!
一応、本人の名誉のために言っておくけど、彼(唐井直)自身はとても優秀な方なのよ!
J3のYSCC横浜を立ち上げた人でもあるし、公認会計士として青山監査法人での勤務や、清水エスパルスや東京ヴェルディなどで、強化担当を務めた経歴があるわ。
そして、運命の2009年、リーグ戦は最下位に終わり、J2降格になったわ。
くしくも、クラブ事務所・練習場を千葉市のユナイテッドパークに移転し、運営会社の商号を、「株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブ」から「ジェフユナイテッド株式会社」へ変更したその年に、J2降格になったわ。
事務所も練習場も新しくなって、これからって時にJ2降格は厳しいですね!
そうね。
前身の古河時代を含めて、「下位ディビジョンへの降格」は初めてだったのよ。
その後、2022年現在までジェフは、J1復帰を果たせていないの。
それでも、J2降格5年目までは、充実した戦力を武器に上位を保ち続けたわ。
12年からは3年連続でJ1昇格プレーオフに進出し、復活のチャンスはあったの。
ところが、J1昇格プレーオフ決勝の大分トリニータ戦で、0-1とあと一歩で敗れ、13年はプレーオフ準決勝で、リーグ4位の徳島ヴォルティスと引き分け、規定により決勝へ駒を進められなかった。
続く14年プレーオフ決勝も、0-1の僅差でモンテディオ山形に敗れて、涙を飲んでいる。
14年後半から約2年間は、ロンドン五輪ベスト4へ導いた関塚隆監督がチームを率いるも振るわず、15年は9位、16年は11位と順位を下げたわ。
17年には久保建英がプレーしたヘタフェの元監督、フアン・エスナイデルが監督に就任。
最終的に6位に滑り込んでプレーオフへ進み、プレーオフ準決勝で名古屋グランパスと対戦。
先制したけど、相手FWシモビッチにハットトリックを決められて、2-4の逆転負け。
プレーオフ、四度目の正直とはならなかったわ…。
そこからはプレーオフどころか、J2下位に低迷して、浮上のきっかけすら掴めていない状況なの。
チームとしては、守備が弱いみたいね。
失点数がJ2最多になったこともあるわ。
まぁ、10試合で22失点というのは、いくらなんでも多すぎるわ。
10試合で22失点ですか!
!
それは多すぎですね!
!
まぁ、フロントが未熟なんじゃないかなって、私は思ってるけどね。
そうね。
やっぱり名門クラブが沈んでいくのは見たくないわね。
一番、可哀想なのはサポーターですからね。
今年こそは、ジェフには頑張ってJ1に返り咲いて欲しいですね。