【勝手に注目】チェイスアンリ!アフロヘアが可愛いU-22日本代表!


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やらかしサッカーチャンネル

こんにちは。
やらかしサッカーちゃんねるのあいです

こんにちは、まぁやです。

今日はとんでもない化け物とまで言われて、注目されているスーパー高校生、チェイス・アンリ選手について!

待ってましたーーー

あら、まぁやちゃん、目をつけていたのね

そりゃ、もう、この前大迫選手とも競り合ってて話題になったじゃないですか。
高校生でA代表のトレーニングパートナーってヤバすぎ。

そうね、そんなチェイス・アンリ選手について、今日は注目しまーす。

はい!

チェイス・アンリ選手は、2004年3月24日生まれ、アメリカ人のお父様と日本人のお母様を持つ彼は、187cmの高さとフィジカルの強さを備えながら、スピード、アジリティー、細かいステップと、身体操作に長けているのが一番の特徴と言えますね。
“飛び級”で招集されたU-22日本代表の一員として、AFC U-23アジアカップ予選に出場し、初戦のカンボジア戦にスタメン出場。
高校生とは思えない堂々たるプレーを見せました。

うんうん

アンリ選手は日本生まれだけど、幼少期をアメリカで過ごしたんですって。
お母様の実家がある神奈川県に戻ってきたのは、中学1年生の頃。
当時はほとんど日本語を話すことができなくて、「最初は周りが何を言っているのか分からなくて苦労した」と振り返っているけど、持ち前の明るいキャラクターで、学校生活に馴染むことに苦労はなかったそうよ。

とは言っても、頑張っていたんでしょうね。

そうね、そしてポジティブに自ら切り拓いてきたんでしょうね。
アンリ選手はこう言っています。
アメリカはとにかくフリーダム。
いろんな人種の人たちがいたし、それぞれがやりたいことを自由にやっている印象がありました。
でも、日本に来るとみんな同じ制服を着ているし、きっちりしているというか、そういう部分には少し驚きました。
でも、日本の人たちは本当に礼儀正しい人たちばかりだと思いましたし、言葉の面では大変だったけど、みんなが優しく接してくれて、生活には徐々に慣れていくことができました。
アメリカでの本格的なサッカー経験はなく、公園で仲間たちと遊びでボールを蹴っていた程度。
本場であるバスケットボールや野球、水泳とあらゆるスポーツにも触れたが、どれも本人にとっては“遊びの延長線上”でした。
そんなアンリが部活動を1つ選択する際に、頭に浮かべた光景は、アメリカ代表の勇姿でした。
体を動かすことが大好きで、一番体を動かせるのがサッカーだった。
それに10歳の時のブラジルW杯で、アメリカのナショナルチームがベスト16に進出して、ワクワクして『W杯でプレーしたい』と思いながら観ていたのもあって、サッカー部に入ろうと思いました。
アンリが通っていた中学校のサッカー部は、県内でも決して強豪とは言えないチーム。
でもほぼ未経験だったアンリにとっては、全員が驚くほど上手く見えたそうです。
衝撃でした。
僕は遊びでやってきた人間なので、下手すぎて周りとレベルが全然違ったし、何よりもみんながサッカーを本気でやっていた。
僕も真剣にやって、もっと上手くならないといけないと思ったんです。
負けず嫌いの気持ちに火がつきました。
毎日のように部活でボールを追いかけ、家に帰るとすぐに自主練。
そんな毎日を過ごしていた中2の冬、全国高校サッカー選手権大会を見て、新たな憧れと目標を抱いたそうです。
埼玉スタジアムで、前橋育英と流経大柏の決勝戦を見ました。
応援もすごいし、雰囲気もすごいし、両チームとも上手い。
ここに出て試合をやりたいと思ったんです。
そんな中、中3になったアンリに突然、運命の時がやってきます。
尚志の下部組織にあたるラッセル郡山U-15が神奈川遠征に訪れた時、中体連の3校と練習試合をしました。
その1つがアンリのいた中学校だったのです。
そこでアンリのプレーが尚志の関係者の目に留まり、すぐに練習参加するなど獲得に動き出しました。
地元・神奈川の強豪校からもラブコールを受けるほどのポテンシャルを発揮していましたが、尚志高校はきちんとパスを繋ぐし、技術レベルが高くて面白いサッカーをしていると思いました。
それに自分自身も寮生活で親元を離れて自立したいと思った。
と、福島県への越境入学を決めることになりました。

大人な考えですね。

夏の全国中学校サッカー大会予選までサッカー部でプレーして、中学の部活を終えると、高校進学までの残り期間を尚志で活躍して選手権に出るためには、クラブチームでもっと上手くならないといけないと思ったとFC湘南ジュニアユースに加入し、高校入学までの時間を1秒たりとも無駄にしなかったそうです。
初めての寮生活でも、そのキャラクターを遺憾なく発揮。
同じ目標を目指す仲間たちとはすぐに打ち解け、日本語もメキメキ上達していったそう。
尚志の仲村浩二監督はこう言っています。
先輩でも指導者でもタメ口で話すことがあるんですが、そこがまた可愛いんですよ!

アンリ選手、先輩からも後輩からも人気あるでしょうね

そうね、そういうとこも、スター選手の素質よね。
コミュニケーションの上達は、プレー面でも相乗効果がありました。
仲村監督は入部当初はキックの質も低く、奪えるボールと奪えないボールのジャッジもできなかったと回想しましたが、尚志のスタッフらはアンリに基礎技術を徹底して植え付けました。
さらにトップチームがユース年代最高峰のリーグであるプレミアリーグEASTに昇格したことで、1年時からその1つ下のカテゴリーに位置するプリンスリーグ東北に参加するセカンドチームでプレー。
つまり、より高いレベルで実戦経験を積むことができたのです。
そんな恵まれた環境下で日を追うごとにぐんぐん成長していくアンリ選手は、第16節でトップチームの一員としてプレミアリーグデビューを飾ると、1年生ながらその年の選手権メンバーにも選ばれました。
チームは当時エースだったFW染野唯月(鹿島)の不在が響いて、初戦敗退を喫しましたが、アンリは同試合で途中出場を果たして“全国デビュー”。
わずかな出場時間だったものの、圧倒的な存在感と空中戦の強さにスタジアムは何度もどよめきました。
その後の20年2月には、U-17日本代表に初選出。
とんとん拍子で世界への道を駆け上がっていきます。
彼の凄さは言われたことをしっかりやることで、経験を積めば積むほど責任感や自覚が出てきて、ミスをした後もきちんとスタッフとディスカッションができる。
課題を明確に把握できるからこそ、必要な力を吸収していけると思います。
(仲村監督)現在の日本サッカーにおいて、イングランドの名門・アーセナルでサイドバックながらレギュラーを張り、日本代表では待望の若手CBとして活躍する冨安健洋の存在は、大きな光となっているというのは過言ではないと思います。
かつては井原正巳が「アジアの壁」として長く君臨し、そのバトンを継いだ宮本恒靖、中澤佑二、吉田麻也が、フランスW杯から続く、日本代表の最終ラインの歴史を支えてきました。
そして、ベテランの域に差し掛かった吉田の後を継ぐ選手の台頭が待たれていた中で、23歳の冨安が頭角を現しました。
そんな冨安の後を追うように、新たな「壁」として期待されるニューフェイスが今、誕生しつつあるんです。
まぁやちゃんの好きなうっちーも絶賛しているらしいよ。

もう、それは、間違いないですね

そして、アンリ選手はこう言っています。
日本の中でもユニークなプレーヤーであることは自覚しています。
日本とアメリカの両親がいて、伸ばしているヘアスタイルも僕のポジティブな部分。
オンリーワンだと思っています。
お父さんのおかげでこの身体能力があると思っているし、お母さんのおかげで日本の文化をよく知ることができて、日本語と英語の2つの言語も話せるようになった。
そして日本のおかげでサッカーが上達することができた。
もし、あのままアメリカにいたら、多分サッカーをやっていないし、バスケや野球など他のスポーツをやっていたと思いますから。
自分のバックボーンを誇りに思っていますし、そこに甘えないで、もっと成長するために長所を磨いて、ミスをちゃんと反省して、ナショナルチームに入りたいと思っています。
日本も、旧時代と違って、多様性は当然のこととして、実力を備えた未来のスーパースターがこれからもどんどん出てくるでしょうね。

これから、さらに注目して応援していきます。

そうね、引き続きアンリ選手に注目ね。

このチャンネルにも注目してもらえたら、嬉しいです!