ヴェルディの母体となった読売サッカークラブの創設は、1968年11月当時の日本サッカー協会の会長が将来のプロ化導入を目指して、読売グループにプロサッカーチームの創設を依頼したことに始まるの。
読売グループは野球の次はサッカーのプロ化の時代が来る。
ヨーロッパのようなクラブ組織を作る。
と言って、クラブ設立を快諾したわ。
1969年10月1日プロ野球に次ぐプロスポーツを視野に入れて「読売サッカークラブ」は発足したの。
クラブの運営資金は読売新聞、日本テレビ、よみうりランドが4・4・2の割合で負担したの。
日本サッカーリーグ(JSL)では他の参加クラブが有力企業に属し、社員の福利厚生や宣伝を目的とした実業団チームと呼ばれる形態を採用していたのに対し、読売クラブは欧米型のクラブチームの形態を採用し、様々な職種の人々によって構成されたクラブなの。
1972年にJSL2部に昇格し、1977年にJSL1部昇格を果たしたわ。
日産との熾烈なライバル関係で知られていたの。
ドーハの悲劇の時の日本の10番「ラモス瑠偉」は日産戦での選手追いまわし行為により1年間の出場停止処分を受けたわ。