【アマチュア時代の闇】日本サッカー界で起きたボイコット事件を解説


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こんにちは
やらかしサッカーチャンネルにようこそ
ナビゲーターの愛衣です。

皆さん、こんにちは
アシスタントのまあやです。

このチャンネルは
サッカー界のやらかしちゃった事件をメインに日本サッカーの歴史を振り返る、らく~なチャンネルです。

愛衣さん、やりましたね!
ついに私たちもYoutubeデビューですよ!

そうね。やっと私のサッカー知識を披露する時がきたわ!

そんなにサッカー好きだったんですか?

好きとか、そういう次元じゃないわ!
もう、生活の一部だわ!
そういう、まあやちゃんはどうなの?

わたしも好きですよ!サッカー!
元日本代表の内田選手とかイケメンですよね~

えー、そこなの??
まぁ、カッコいいのは否定しないけど、サッカーの魅力はそれだけじゃないわ!
人に歴史があるようにサッカーにも歴史があるわ!
まあやちゃんにもじっくり教えてあげるね!

お手柔らかにお願いします。。。
それでは早速、本日のテーマをお願いします。

本日のテーマは「全日空」について解説するよ。

全日空??サッカーと関係ないじゃん?

いえいえ。そんなことないよ。
今、横浜にJリーグのクラブチームが何チームあるか知ってる?

2チームかな?横浜Fマリノスと横浜FC。

残念!正解は3チーム。
他にY.S.C.C横浜っていうチームがあるよ!

横浜のチームと全日空がどう繋がっているんですか?

実は横浜の3チームにはすべて全日空が絡んでいるんだ。
しかも、全日空の2度のやらかしのおかげで、今の3チームがあるんだ。

2回もやらかしてるの?

1回目はボイコットで、2回目はチーム解散だよ。
それじゃ、1回目のやらかし、
「全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件」を解説するよ。

選手が試合をボイコット??

1986年3月22日に東京都北区の国立西が丘サッカー場で行われた
日本サッカーリーグ第22節 全日空横浜サッカークラブ(元横浜フリューゲルス)vs 三菱重工業サッカー部(現浦和レッズ)戦において
全日空に所属する6選手によって実行された試合ボイコット事件なんだ。

全日空横浜サッカークラブは、前節で2部降格が決定していて、この試合は消化試合だったんだけど、全日空側ではシーズン終了後の引退する選手の送別試合を兼ねて、三菱側ではミッドフィルダーの名取篤選手のJSL通算100試合目の記念試合となっていたの。

14時30分の試合開始、5分前に迫った時、全日空側の6人が試合のボイコットを表明し競技場を後にしたんだ。
当然、全日空の控え室は事態に騒然となり、試合開始時間が10分以上も遅れ
急遽、控えメンバー加え10人で試合を行うことになったんだ。

それで、試合はどうなったの?

当然、6-1で三菱の大勝!!

まぁ、そうだよね。
でも、なんで、ボイコットなんてしたのかなぁ?
きっと何か理由があるんでしょ?

その理由を語るには、全日空横浜サッカークラブについてもう少し話しておかないと。

全日空横浜サッカークラブは、1964年に神奈川県横浜市に設立された、「中区スポーツ少年団」を前身としているの。

横浜市教育委員会の後援もあり、地域に根ざした市民サッカークラブとして
活動していたんだ。
全日空もスポンサーとして、資金援助していたんだけど、JSL1部昇格の際に「株式会社 全日空スポーツ」を設立し運営に参画してきたの。

実はこの全日空の運営がひどくて、もともとクラブに所属する古参選手は嘱託社員という扱いで全日空スポーツに雇用され、事実上の契約選手となったわ。
契約選手達が得ていた給与は、ベテラン選手で年収400万円程、若手選手で120万円程だったらしいの。

しかも、それだけじゃなくて、ボーナスはなく、遠征などの交通費は自己負担。
健康保険や厚生年金はなかったみたいだね。

今の時代なら、かなりのブラック企業だね

移籍によって獲得した選手は、年収600万円くらいをもらっていたらしいから
古参選手と移籍組の間で、かなりの確執があったみたい。

そして、決定打になる出来事がおこるの。

2部降格が決定した時点で、9人の選手の解雇を決定し、来季に向けて
チームの若返りを図ろうとしていたの。
これに対して解雇された側は、
「待遇改善を求めた側を『不満分子』と見做し切捨てた」
「チーム強化に貢献してきた者を利用するだけ利用して一方的に解雇する。まるで企業乗っ取りのようだ。」
として反発を強めていったわ。

それで、ボイコット事件が起きたんだ。

プロの世界なら当たり前のことだけど、当時は企業に属しているアマチュア選手しかいなかったからね。

突然、「クビ」って言われても確かに納得できないかも。。。

それで、そのあとはどうなったの?

サッカー界から永久追放されたわ。

日本サッカー協会は、緊急規律委員会を招集し、ボイコットした6選手に対し
無期限登録停止処分を下したの。
この処分は選手だけでなく、監督やコーチ、クラブチームの役員としての参加も禁止されたの。

でも、無期限停止処分を受けた6選手のうち3選手は1989年までに処分が解除されたわ。
他の2選手についても、2012年にJFAに対して処分解除の嘆願書が提出され、処分解除になったわ。

残りの1人についても、嘆願書が提出された時点で、処分解除が検討されているらしいわ。

ボイコット事件後のサッカー界への影響は?

1つ気になる事があるんだけど?
このボイコット事件はサッカー界には影響はあったの?

いいところに気が付くね。さすが、まあやちゃん!

えへへ!褒められちゃいました。
まあやは褒められて伸びる子です。

JFAはこの事件を教訓に、当時アマチュアだけだった選手制度に「プロ」「ノンアマ」「アマチュア」からなる新たな選手登録制度を採用したわ。
日本サッカー界初のプロ選手登録制度導入の背景にはこのボイコット事件が影響していると言われているの。

日本でのプロ第1号の木村和司さんもJリーグができるまで、アマチュア選手だったかもしれないわね。

悪いことだけじゃなかったんだね。

良くも悪くも、日本サッカー界に影響を与えたことには間違いないわ。
ちなみに、その騒動の後に全日空が運営に参加する前の横浜サッカークラブに携わっていたスタッフやクラブOB達は、企業に依存することのない地域密着型クラブを標榜して、1986年9月に横浜スポーツクラブを設立したの。
それが今の「YSCC横浜」なんだ。

YSCC横浜って、このチームから枝分かれしてできたチームなんだね。
確かに全日空が絡んでますね。

直接絡んでいたわけではないけどね。

「中区スポーツ少年団」の理念、『地域に根ざしたクラブ』を正当に受け継いでいるのはYSCC横浜になるわ。

この後、全日空横浜サッカークラブは横浜フリューゲルスとして
Jリーグに初期メンバーとして参加することになるわ。

プロチームになれたんだね。
でも、今はそんなチームないよね?

そうなの。
全日空はJリーグで第2のやらかしをやってしまうの。

今度は何をやってしまうの?

それは、横浜フリューゲルスの消滅よ!

でも、そのお話は後編で。