【北海道コンサドーレ札幌】Jリーグで最初のJ2降格クラブ北海道コンサドーレ札幌の歴史


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愛衣さん、今日はどんなお話ですか?

今日は「北海道コンサドーレ札幌」を取り上げるわ。

「北海道コンサドーレ札幌」ですか?
ついに最北のクラブですね。

前回に引き続きリクエストから取り上げたわ。
J2に降格することも度々あったけど、近年はJ1に定着してきたわね

そうなんですね!

クラブ創設の話がメインになるけど、「北海道コンサドーレ札幌」を紹介するわね。

お願いしまーす。

北海道コンサドーレ札幌は、札幌市を中心とする北海道をホームタウンとする、Jリーグに加盟するプロサッカークラブ。
チーム名の「コンサドーレ」は、道民を意味する「道産子」の逆さ読みと、ラテン語の響きを持つ、「オーレ」を組み合わせたもの。
一般公募によって決定されたわ。
エンブレムは、北海道に生息する日本最大のフクロウの「シマフクロウ」を図案化して、頂点に羽ばたく翼を持つシマフクロウの盾型の中に、結束したイレブンを表す11個の星、闘志を表すシマフクロウの眼光、攻撃性を表すブリザードを表現した白ストライプを配し、それらが、ホームタウンを意味するリボンの円弧に根ざすデザインなの。
マスコットは1997年に誕生した「ドーレくん」。
シマフクロウをモチーフにしているわ。
ホームスタジアムは札幌ドーム。
日本で唯一の完全屋内天然芝サッカースタジアムなの。

札幌ドームって野球でも使ってますよね?
サッカー場としても使えるのですか?

天然芝サッカー場移動方式の「ホヴァリングシステム」を世界で初めて採用したの。
外にある天然芝の競技場がドーム内に移動するの。

画期的ですね!

このシステムによりサッカー用天然芝グラウンドと野球用人工芝グラウンドの併用が可能となっているわ。
野球だと今年の2022年までは北海道日本ハムファイターズの本拠地になっているわね。
練習場はオフィシャルスポンサーの石屋製菓が所有する「宮の沢白い恋人サッカー場」と、札幌ドームの敷地内にある天然芝の「屋外サッカー練習場」。
クラブ事務所は以前は札幌ドーム内にあったけど、2014年1月29日に宮の沢白い恋人サッカー場内のコレクションハウスを改修して事務所を移転したわ。
発足当初のクラブ名は「コンサドーレ札幌」で、ホームタウンも札幌市だけだったけど、創立20周年を迎える2016年シーズンからチーム名を「北海道コンサドーレ札幌」に変更し、ホームタウンエリアも拡大されたわ。

コンサドーレはどうやって設立されたのですか?

コンサドーレは1935年に東芝のサッカー部として創部した東芝堀川町サッカー部が前身なの。

東芝のサッカー部だったのですね。

ちなみに当時の本拠地は事業所があった神奈川県川崎市だったのよ。

札幌ではなかったのですね。

1978年に日本サッカーリーグ(JSL)2部に昇格。
1989年に日本サッカーリーグ(JSL)1部に昇格したわ。
JSL最後のシーズンとなった1991-1992シーズンには、2シーズン連続で4位に入る成績を収めたわ。

強かったのですね。

でも、東芝サッカー部は東芝の意向でプロ化はしない方針だったの。
Jリーグへの初年度の参加は見送ったわ。
1992年からはジャパンフットボールリーグ(JFL)への参加となったわ。
Jリーグでのプレーを希望する選手の流出もあって、JFLでは中堅クラブの位置に留まっていたわ。

いい選手はJリーグのクラブに移籍しちゃいますからね。

しかも当時の東芝はリストラの一環として、サッカー部を廃部する方向で動いていたの。
チームは消滅するか、クラブチーム化するかしかなかったわ。

消滅の危機だったんですか!
そんな東芝サッカー部がなんで札幌に?

Jリーグが創設して、日本中がJリーグブームの真っ只中のころ、札幌でも「地元にJリーグクラブが欲しい」となるまでに時間はかからなかったわ。
そんな時、94年に札幌青年会議所がJリーグ誘致を目指し「札幌にJリーグチームを」といった署名活動を行ったわ。
31万人もの署名が集まったの。
札幌市民のおよそ6分の1の署名が集まったことになるわ。

そんなに集まったのですね!

この署名を受けて、95年には誘致組織として「札幌SJクラブ」が発足したわ。
官民の代表を集めた、「Jリーグ札幌ホームタウンチーム設立推進協議会」も設立されたわ。
でも、最初に直面した問題は、クラブをどの様にして調達するかだったの。
既にあるチームを母体にするのか、福岡や神戸のように誘致するのか、それとも清水の様に新チームを結成するのか、それが問題だったの。
案に上がったのが、地域リーグである北海道リーグに所属していた「北海道電力」を母体にする案、そして、JFLに所属するチームを誘致する案。
結局、既存のチームを誘致するのが一番の近道という判断があって、JFLのチームを誘致する方向へ話が進んでいったわ。
そこで東芝サッカー部に目を付けたの。
サッカー部を廃部する方向で動いていた東芝と、クラブ誘致を求める札幌側との利害が一致し、東芝サッカー部の札幌移転が決まったわ。

東芝サッカー部を母体として、札幌でクラブチーム化ってことですね。

1996年1月に札幌への移転を正式決定し、2月にJFAが移転を承認。
4月には運営会社の「株式会社北海道フットボールクラブ」が設立され、チーム名が「コンサドーレ札幌」と改称されたわ。
同年にJリーグ準会員に承認されたの。
ちなみにユニフォームの赤と黒の縦縞は、2009年~2012年に監督としてコンサドーレを率いていた石崎信弘が、東芝サッカー部に選手として所属していたころ、石崎が好きなACミランにあやかり、赤と黒のストライプの物を着用する様になったの。
現在のコンサドーレにも受け継がれているわ。

東芝サッカー部の歴史が受け継がれているんですね。

移転後の1996年はJFLを5位でシーズン終了したけど、翌年の1997年はホーム無敗の成績でJFL優勝。
Jリーグ昇格を果たしたわ。
1998年の初参加のJリーグの年間順位は12勝22敗の18チーム中14位となったわ。

初参加にしては、上々の出来だったのではないでしょうか?

でも、不運なことが起こったの。

なにがあったのですか?

1999年からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦に回されてしまったわ。

J1参入決定戦ですか?

そもそも当時Jリーグが2部制に踏み切ったのは、上限と考えていた16クラブを越え、1997年の時点で17クラブまで肥大化したことだったの。
1998年にはコンサドーレの昇格で18チームになったわ。
さらに参入を希望するクラブが相次ぐ状況だったの。
そこでJリーグは当初の予定を早めて、Jリーグの2部リーグ創設を決断したの。
J1を当初予定していた16チームにするために、2チームをJ2に降格することになったわ。
実際には横浜フリューゲルスと横浜マリノスが合併して、1クラブ減ったから、1チームがJ2降格することになったの。

出場したクラブはどんなクラブだったのですか?

Jリーグ下位5クラブと、1998年のJFLで2位以内に入ったJリーグ準会員クラブが参加して、最大7クラブでJ1参入の3枠をトーナメントで争う内容だったわ。

実際はどうだったのですか?

さっきも言った通り、横浜フリューゲルスと横浜マリノスが合併したために、Jリーグ側の参加クラブが4クラブに減少したわ。
JFL側の2位以内に入ったJリーグ準会員クラブは川崎フロンターレだけだったの。
この結果、15位のジェフユナイテッド市原、16位のコンサドーレ札幌、17位のヴィッセル神戸、18位のアビスパ福岡、JFL2位の川崎フロンターレの計5クラブで3枠を争うことになったわ。

あれ?
コンサドーレは14位のはずでは?

1998年の成績は14位だったんだけど、J1参入決定戦では1997年の成績も考慮するポイント制が導入されたの。

具体的にはどんな制度だったのですか?

1997年と1998年のポイントの合算なのだけど、1997年は、「18-年間順位」のポイントが割り振られたわ。
でも、1997年はワールドカップフランス大会のアジア最終予選があった関係で、リーグ戦の通常の勝ち点とは別に、順位ポイント用の特別勝ち点が用意されたの。

特別勝ち点ですか?

具体的には、代表に拘束された選手1名分に付き、0.1点の勝ち点をプラスした順位でポイントを算定したわ。
1998年度は「19-年間順位のポイントの2倍」が割り振られたわ。
これによって、J1参入決定戦の順位が決定したの。

コンサドーレは1998年からJリーグ参戦ですよね?
1997年の分はどうなるんですか?

0ポイントね。

それは不利ですね。

確かに不平等の感は否めないけどね。

98年の順位だけなら、J1参入決定戦は回避していたのですよね?

98年の順位だけでも横浜フリューゲルスと横浜マリノスとが合併していなければ、J1参入決定戦に回っていたからね。
まぁ、難しいところだよね。

J1参入決定戦の結果はどうだったのですか?

コンサドーレはヴィッセル神戸とアビスパ福岡のどちらかに勝利すればJ1参入が決まる状況だったの。
でも神戸と福岡にホームとアウェイともに敗れ、4連敗したわ。

J1参入決定戦は散々な結果だったのですね。

J1に残ったのは、ジェフユナイテッド市原、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡の3チーム。
コンサドーレ札幌はJ2降格、川崎フロンターレはJ2参入ということになったわ。
コンサドーレはJリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなったの。

J2降格後はどうだったのですか?

J2初年度は監督に元日本代表監督の岡田武史を招聘したわ。
2年目には見事J1に返り咲いているわ。
その後はJ1ではなかなか安定できずに、J1とJ2を行ったり来たりするシーズンが続いたわ。
2017年からはJ1に定着した感じで、2018年にはJ1最高位の4位になっているわね。

今後も頑張ってほしいですね。

それでは、今回はこの辺で!

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