【FC岐阜】猛烈なスピードでJリーグに加盟!すぐさま財政危機に陥る状況に。


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愛衣さん、今日はどんなお話ですか?

今日は「FC岐阜」について解説するわ。

FC岐阜ですか?

Jリーグに加盟してすぐに経営危機になったチームなの。

加盟してすぐですか?

Jリーグライセンスが剥奪されるところだったの。

そうなんですねー。

今日は「FC岐阜」の生い立ちと過去の経営危機について解説するね!

よろしくお願いしまーす。

まずは、FC岐阜の紹介をするわね。
FC岐阜は、岐阜市を中心とする岐阜県全県をホームタウンとするプロサッカークラブ。
2007年3月にJリーグ準加盟クラブとして承認され、2008年にJリーグへ加盟したわ。
運営会社は株式会社岐阜フットボールクラブ。
エンブレムは岐阜県花である「レンゲソウ」と濃尾平野を流れる木曽川、長良川、揖斐川の3つの川の総称の「木曽三川」をモチーフとしているの。
チームカラーは赤は情熱、青は知性、緑は調和をそれぞれ表しているわ。
ホームスタジアムは、岐阜メモリアルセンター長良川競技場。
(以下、長良川競技場)練習場は長良川球技メドウや岐阜市北西部運動公園などよ。
2010年は第67回国体による、長良川競技場の改修工事があって練習場の長良川球技メドウでホームゲームを15試合開催したことがあるの。
この時は近隣にJリーグ基準を満たしたスタジアムが無いことを理由として、Jリーグは長良川球技メドウでの開催を特例で認めたわ。

Jリーグはスタジアムに厳しいと思っていたのですが、そういうこともあるんですね。

まぁ、特例だったからね。
クラブハウスと練習場に関しては、岐阜市北西部運動公園の敷地内にクラブハウスを併設した練習場の建設・整備を要望しており、それの実現へ向けた募金・署名運動を進めていたの。
多くの署名と募金が集まり、さらに岐阜市が約3億円をかけて、2016年1月にクラブハウス機能を備えた、「岐阜市スポーツ交流センター」を作ったわ。
クラブが常時優先使用できる部分は、メディカルルームや更衣室、浴槽付きシャワー室などで、施設全体の4分の1程度。

岐阜市民と共有して使う感じなんですね。

でも、運動公園のグラウンド使用時は、会議室と談話室を優先的に利用できるわ。
トレーニングルームやストレッチルームは、市民と共用する形となっているの。

市民と選手が一緒にトレーニングできるんですね。
これはこれでありですね!

クラブマスコットは「ギッフィー」。
2017年までは公式マスコットはいなくて、2013年はぎふ清流国体のマスコットの「ミナモ」、2014年は、日本一ソフトウェアのマスコットの「プリニー」がそれぞれ期限付きで応援マスコットとなっていたわ。

FC岐阜はどうやって誕生したのですか?

もともと岐阜には、JFLに所属していた、西濃運輸サッカー部があったの。
1997年に西濃運輸サッカー部は廃部になったわ。
西濃運輸サッカー部の監督をしていた勝野正之はそれまで岐阜県内のサッカーをリードしていた西濃運輸サッカー部廃部と共に、県内のサッカーレベルの低下に危機感を覚えていたの。
岐阜県内で選抜チームを組んで、国体の予選に参加するけど、大差で負けるなど、国体への出場は遠いものとなっていたの。
このまま選抜チームという形をとり続けても、国体へ出場するのは厳しいと考え始めた勝野は、年間を通して強化できるチームを作ろうと、岐阜県サッカー協会に呼びかけたわ。
当時、岐阜県サッカー協会理事長だった松原郁夫らとチームを作ることになったの。
こうして、2001年4月、国体に向けて強化する目的で、岐阜県サッカー協会により創設することになったの。

岐阜県のサッカーレベル向上のために作られたのですね。

でも、元々チームがあったわけではなく、1からチームを作り始めることとなったの。
勝野はチーム発足のため、高校時代の実力のあった選手で、岐阜県に残っている選手をピックアップしてもらい、直接電話をして、セレクションを行うことを1人ずつ伝えていったの。
ようやく集まった選手でセレクションを行ったけど、悲惨な状況だったの。

悲惨って。


どんな感じだったのですか?

体力テスト(クーパー走)を行うことができないほど、走れない選手が集まったの。
体力レベルは中学生くらいだったわ。

それは、選手としてはきついですね。

それから、練習は体力づくりから始めることになったの。
当初13人からスタートしたFC岐阜は、岐阜県サッカー協会の配慮により、特別に岐阜県社会人リーグ1部からの参戦となったわ。
しかし、結局は寄せ集めのチームで、公式戦の初戦で敗れてしまったの。
勝野は「特別にリーグに入れて頂いたのに申し訳ない。
」と思ったそうよ。
その後は戦術を整理し直した結果、それからはリーグ戦を負け無しで、2位でシーズンを終了することになったわ。

えっ!
すごいですね!

リーグ戦を2位で終えたことで、東海社会人リーグへの入替戦に出場することができたわ。
東海社会人リーグへの入替戦の相手は、静岡県から第3のJクラブを目指していた静岡FC。
結果は延長で敗退してしまったけど、手応えを感じた一戦だったわ。

延長までいったのに惜しかったですね!

2002年は、岐阜経済大学が中心となって設立された、NPO法人のスティックルバックスポーツクラブが運営母体となったわ。
FC岐阜は、スティックルバックスポーツクラブのサッカー部門のトップチームとして位置づけられたの。
少しずつクラブの組織が整えられていったわ。
このシーズンには、岐阜県内でも高い能力を持った選手がチーム内に増えていったの。
当初13人だったチームは、この時には21人になっていたわ。
岐阜県社会人リーグ1部では、前年の体力作りが功を奏し、全勝で優勝したの。
この年も東海社会人リーグへの入れ替え戦に出場することができたわ。
でも、またも敗戦して、東海社会人リーグに昇格することはできなかったわ。

2度目の挑戦も叶わなかったのですね。

2003年も県リーグでは十分な戦力を整えていたFC岐阜は、全勝で優勝したわ。
東海社会人リーグへの3度目の挑戦をすることになるの。
この頃になると周囲の期待が集まっていて、入替戦突破へのプレッシャーも掛かるようになってきたわ。
1回戦はからくもPKで勝利。
2回戦も勝利して、ついに東海社会人リーグへの昇格を果たしたの。

チーム創設2年で地域リーグは早いですね!

2004年の東海社会人リーグ2部では、他チームのレベルも高く、勝ち負けを繰り返して8勝6敗という成績に終わったわ。

さすがに、岐阜県リーグとはレベルが違ったのですね。

しかし、シーズンに初参加ながら、1部への自動昇格枠にあと一歩に迫ったわ。
この時は得失点で負けて3位となり、1部に昇格することができなかったの。

惜しかったですね。

でも翌2005年シーズンから、FC岐阜は怒涛の強さを発揮したの。

どうなったのですか?

2005年シーズンは、元名古屋グランパスエイトの森山泰行が加入したこともあり、一気にJリーグ昇格へ向けての流れができたの。
森山の加入は、FC岐阜の知名度を大きく上げることになったわ。
しかし、シーズンを通して、引き分けの試合が多いシーズンだったわ。
結局、最終節で7得点を奪って勝たなければ、昇格できないという状況に追い込まれたの。
最終節は多くのファン・サポーター・メディアが駆けつけ、この注目の一戦を見守ることになったわ。
ここでFC岐阜の勝負強さが発揮されたの。
7-0の大量得点をあげ、奇跡的な大逆転を成し遂げたわ。
得失点差「1」の差で、東海社会人リーグ2部を2位の成績で、東海社会人リーグ1部への昇格を決めたわ。

JFLまであと一歩ですね!

2006年はJリーグ加盟を目指すため、運営会社となる、株式会社岐阜フットボールクラブを設立したわ。
これに伴い、スティックルバックスポーツクラブのサッカー部門だったFC岐阜を株式会社岐阜フットボールクラブに移管したわ。

Jリーグ加盟を目指し始めたのですね!

リーグ戦の方は、東海社会人リーグ1部に参戦。
このシーズンを12勝2分0敗と、圧倒的な成績で優勝したの。
JFL昇格を決める全国地域リーグ決勝大会への出場を決めたわ。

昨シーズンより格段に強くなってますね!

全国地域リーグ決勝大会では、決勝ラウンドを5勝1敗で準優勝したわ。
JFLとの入替戦でもホンダロックSCを4-0、4-1と圧倒。
2007年からのJFL昇格を決めたわ。
ちなみにこの時の全国地域リーグ決勝大会の結果は、1位TDK(ブラウブリッツ秋田)、2位FC岐阜、3位ファジアーノ岡山だったわ。

今では、Jリーグに所属するクラブばっかりですね!

JFL昇格と同時にJリーグ準加盟申請を行ったの。
でも、常勤役員1名、常勤スタッフ2名の確保できず、Jリーグ理事会で継続審議になったわ。
その後の再審議で準加盟が承認されたけど、「経営基盤の強化」の条件付で、8月末までの経営の改善が求められたわ。
2007年シーズンのJFLには、今ではJリーグに在籍するロアッソ熊本、栃木SC、カターレ富山の前身のYKKAPとアローズ北陸などの強豪チームが揃っていたの。
FC岐阜は、ホンダFC戦をアウェイで1-0で勝利すると、そこから5連勝で驚異的な開幕ダッシュを見せたわ。
17勝9分8敗で3位という結果で、Jリーグ加盟条件のリーグ戦4位以内になることができたわ。
そして、2008年のJリーグ加盟が承認され、J2昇格が決定したの。

一気にJリーグまで駆け上がりましたね。

でも、一気に駆け上がったせいか、ここで経営問題を引き起こしてしまうの。

えっ!
Jリーグに昇格したばかりですよ?

FC岐阜はJリーグ準加盟時に、「経営状況の改善」が付帯事項に掲げられるなど、経営問題を抱えながらのクラブ運営を行っていたわ。
2007年にはJリーグ経営諮問委員会で、株式会社岐阜フットボールクラブの経営状態が指摘されていたの。

よくJリーグ加盟が承認されましたね。

「FC岐阜個人持株会」を設立し、1口5万円での出資募集を開始。
しかし、個人持株会も大口スポンサーとはならなく、2008年のシーズン終了時には3億366万円の累積赤字と1億4,616万円の債務超過になったわ。
Jリーグ公式試合安定開催基金から、5,000万円の融資を受けたの。
この融資は、ザスパ草津に次いで2例目なの。
さらに2009年は、入場者数が当初の予想より大幅に下回っていたの。
このままの状況が推移すれば、当初の予想興行収入である1億円を下回り、選手やスタッフに給与の支払いができなくなるほど、資金が底を突く可能性があると発表したわ。
存続を願う地元のファンや企業から、2,800万円を集めて、この時はなんとかしのいだわ。
さらに公式試合安定開催基金から融資を受けている、5,000万円の返済期限の延期をJリーグに申し入れたわ。

サポータの支援ってすごいですね。

翌年の2010年4月16日、公式試合安定開催基金から、融資を受けていた5,000万円を返済し、2010年には単年度黒字を計上したわ。

ひとまずは安泰ですね!

でも累積赤字・債務超過の状況が解消されたわけではなく、2011年度には7,100万円の単年度赤字を計上したの。

1年でまた赤字に戻ってしまったのですね。
Jクラブの運営って難しいのですね。

これを受け2012年4月18日、岐阜FCがJリーグから経営状態について指導を受けることになったわ。
でも岐阜FCは、2012年シーズン終了までに1億5,000万円の資金が不足し、7月末までに1,000万円の資金ショートが発生するとの見通しを示したわ。
これを受けて、県内の企業・団体などは、FC岐阜に資金支援する意向を表明。
岐阜県や岐阜市は、直接の資金援助(税金投入)は否定したものの、側面支援を約束したわ。
でもJリーグは、FC岐阜に対して、2013年度のライセンス交付に厳しい姿勢を示したの。

ライセンス交付されないとどうなるのですか?

Jリーグ退会でJFL、もしくは地域リーグに降格ね。

それは厳しいですね。

当時はJ3がなかったから、今だったらJ3降格かもしれないわね。
結果的にこの年はJ2ライセンスの交付を受けたけど、同時に債務超過の解消や、単年度黒字計画の策定をJリーグから通達されたわ。
これまで大口スポンサーを持たなかったFC岐阜だったが、2012年シーズンオフに、岐阜出身のJトラスト社長の藤澤信義が、クラブ支援に乗り出すことを表明したの。
藤澤信義は個人で1億5,000万円を寄付する方針を明らかにしたわ。
また、JトラストグループのKCカードが、2013年シーズンのユニフォームスポンサーに就くことも決まったの。

救世主が現れましたね!
っていうか、個人で1億5,000万円の寄付ってすごくないですか?

それでも、2012年度の決算が4,800万円の赤字で、債務超過額が、1億9,100万円へ増加したことが明らかとなったわ。
2015年1月までに債務超過を解消しなければ、クラブライセンスが発給されず、Jリーグ退会となるところなの。

ちょっとヤバい状況ですね。


債務超過解消について藤澤は「地元財界の支援による債務超過解消が前提」とコメントし、債務超過が解消されれば、さらなる資金援助を行う意向を表明したわ。
2013年12月、藤澤による追加支援の条件となっていた、「地元での債務超過の解消」に目処が付いたの。
具体的な債務超過解消策については、明らかになっていないけど、FC岐阜のメインバンクである十六銀行が、債務の圧縮に応じたものが大きいとみられているわ。
これを受けて、藤澤は「無制限の強化費用の支援を行う」と発表したの。
岐阜フットボールクラブは株主総会で、2億4,000万円の第三者割当増資を承認。
これを藤澤が個人で引き受け、岐阜フットボールクラブの49.95%の株式を保有する筆頭株主となったの。
これで経営問題に目途がついたわ。

個人で筆頭株主ってすごいですね。
でも49.95%って中途半端じゃないですか?

持株比率がギリギリ過半数に届かないのは、「FC岐阜は私のものじゃなく岐阜県のチームです」というメッセージが込められてたそうよ。

なるほど-。

でも、FC岐阜は、過去の過ちを繰り返してしまったわ。
2021年、藤澤が再び財政支援せざるを得ない状況になったの。
これにより藤澤の持株比率は、49.9%から64.2%と、過半数を大きく超えることになってしまったの。

完全に藤澤さんのチームになってしまいましたね。

この結果が藤澤の本意だったかは分からないけど、FC岐阜というクラブがなくなるよりかは良いと思うわ。

J2に昇格してからの成績はどうなんですか?

J2に昇格してからは、なかなか勝ちきれない試合が多くて、ほぼ下位にいるわね。
2014シーズンからJ3ができてからは、ぎりきりで降格をまのがれるシーズンが続いたの。
でも、2019シーズンについに最下位になって、J3に降格したわ。
J3では中位に位置付けているわね。

今は藤澤さん頼りのチーム状況になってますけど、将来的には強いチームになってほしいですね。

本当そうね。
FC岐阜には頑張ってもらいたいわ!
最後は駆け足になっちゃったけど、今日はこの辺で!

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