【湘南ベルマーレ】親会社の「フジタ」撤退で激動の2000年代。


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愛衣さん、今日はどんなお話ですか?

今日は「湘南ベルマーレ」について解説するわ。

湘南ベルマーレですか?

ハードワークのサッカーをしているクラブというイメージがあるわね。

湘南ベルマーレはどんなやらかしがあるんですか?

経営難でチーム消滅危機だったことがあるの。
今日は湘南ベルマーレについて、生い立ちから解説するね!

よろしくお願いしまーす。

湘南ベルマーレは、ホームスタジアムのレモンガススタジアム平塚がある平塚市を中心として、神奈川県西部の9市11町をホームタウンとしているチームなの。

神奈川県のほぼ半分を占めてますね!

練習場は平塚市の馬入ふれあい公園サッカー場。
相模川沿いにある練習場ね。
運営会社は株式会社湘南ベルマーレで、マスコットはポセイドンをモチーフにしたキングベルI世。
そんな湘南ベルマーレの前身はフジタ工業サッカー部で、フジタ工業サッカー部は、さらに1968年に創部された、藤和不動産サッカー部を前身とするわ。
藤和不動産は現在の三菱地所レジデンスね。
チームはまず最初は栃木県にある、藤和那須リゾート内に創設されたわ。

最初は栃木からスタートしたんですね。

藤和不動産を経営する藤田一族の藤田正明が、将来のプロ化も見据えて創部したわ。
藤田正明は当時参議院議員で、のちに参議院議長も務める人物よ。

いきなりそんな大物から支えられていたんですね!

当時は人気スポーツといえば野球だったけど、サッカーが人気になる時代が来るという持論を持っていたそうよ。
そのため、当時としては異例の充実した環境が用意されたわ。
那須ハイランドに芝生3面の専用練習グラウンドを整備して、全24室、すべて個室のコテージ風の合宿所を建設。
専門の栄養士が就いて選手の食事を用意し、夜はビデオテープを使ってミーティングをしたそうよ。

今のJリーグのチームでも練習場に苦労しているところがあるのに、50年前にそれはとんでもないですよ!
相当サッカーに力を入れていたんですねー

とはいえ、どれだけ環境が整っていても、最初は下部リーグからのスタートだから、3年で日本サッカーリーグ入りの目標を立てて、1968年に栃木県社会リーグ4部からスタートするわ。
4部では1試合平均15点とあまりにも強すぎたから、1年で1部リーグとの入れ替え戦が許されたわ。

平均が15点って、もはやサッカーではないですよ!

そして1969年に栃木県リーグで優勝、1971年に関東リーグを優勝し、全国社会人サッカー選手権大会、JSLとの入れ替え戦も制して、JSLに昇格したわ!

すごいペースでの昇格ですね!

JSLに昇格した1972年、ここで藤田正明の、「うまくなるには本物に触れない」といけないという考えで、元プロ選手の獲得に動くわ。
それがセルジオ越後よ。

セルジオさんって、ここでプレーしていたんですね!
わたしは辛口解説者のイメージで、選手時代のことを知りませんでした。

ちなみにセルジオさんって、それまではどこでプレーしていたんですか?

もともとブラジルの名門コリンチャンスでキャリアをスタートし、その後ブラジルのクラブを渡り歩いていたわ。

そうなんですね!

デビューの開幕戦では、JSLでは初の元プロ選手の加入が話題になって、2万人を超える観客が来たそうよ。
ところが、まだ当時の日本ではプロアレルギーが強くて、このことが議論になり、外国人選手の試合出場は、登録から半年間は認めないっていう規約ができちゃったみたいなの。

まだまだ保守的な時代だったんですね。

さて、話をチームに戻すわね。
1975年、藤和不動産の親会社のフジタ工業に転籍して、フジタ工業クラブサッカー部に改称し、1976年から東京に本拠地を移すわ。
ブラジル出身選手を多数獲得して、1977/78シーズンに初優勝をすると、1980年代前半にかけて強豪クラブとなるわ。
89/90シーズンで一度2部に降格しちゃうけど、91/92シーズンで2部優勝、Jリーグ開幕時のクラブからは落選しちゃうけど、1993年にホームタウンを平塚市とし、この年には旧JFL1部で、元ブラジル代表のベッチーニョ、ミランジーニャや、岩本輝雄、名良橋晃、野口幸司、名塚善寛など日本代表にも選ばれる選手の活躍で優勝したわ。
この時点で平塚競技場は、Jリーグのスタジアム基準を満たしていなかったんだけど、リーグ基準に改修をする予算が付いたことで、1994年からのJリーグ参入が認められたわ!

創立者のプロチームを作るという念願がかないましたね!

ちなみに、Jリーグ加盟前の1993年に既に「湘南ベルマーレ」というチーム愛称がつけられていたんだけど、Jリーグ加盟にあたり、当時はホームタウンを1つの市区町村にするのが原則だったため、1994年に「ベルマーレ平塚」に改称したわ。

Jリーグに入る前から湘南ベルマーレって名前で活動してたのですね!
知りませんでした。

湘南って有名だけど、神奈川県に「湘南」って地名は存在しないの。

たしかに、湘南市とかはないですね。

湘南は相模湾沿岸を指す呼び名なの。

そうだったんですね!
広域ホームタウン制になったから、ピッタリの呼び名かもしれませんね。

さて、話をベルマーレに戻すけど、Jリーグ加盟以降、リーグ戦の順位では苦労する年が続くんだけど、1994年には天皇杯で優勝し、初タイトルを獲得するわ。
そして、Jリーグ初期のベルマーレを語る上で欠かせないのは、1995年に中田英寿が入団したことね。

はい、私も聞いたことがありますが、なんでベルマーレに入ったのでしょう?

中田英寿は、高校生年代で年代別代表招集され、既に有名だったんだけど、高校卒業時には10を超えるクラブからオファーを受けたわ。
その中で複数チームに3日ずつ練習参加をし、ベルマーレに決めたのよ。
3日間なのは、1日目の練習が2日目にどう生かされて、3日目にどうなるのかという過程を知るためだそうよ!

高校生とは思えません。

ベルマーレに決めたのは、他のチームより自由な雰囲気があったこと、また将来の海外への挑戦を見据えてくれたことが理由のようね。
そして95年の入団後、すぐにトップ下で即戦力となり、ベルマーレに在籍しながら、アトランタ五輪やフランスワールドカップ等の代表でも活躍。
フランスワールドカップ後、イタリアのACペルージャに移籍したわ。

入団時の考え通り、海外に羽ばたいていきましたね、、!

退団後も、クラブのスポンサーになったり、OBとして記念試合に参加したり、関係性は続いているわ。

やっぱりプロとしてデビューしたチームは大きいんですね。

少し話を戻すけど、1998年のフランスワールドカップには、ベルマーレから日本代表として中田以外にも小島信幸と呂比須ワグナー、そして韓国代表として洪明甫が選出されているわ。

ワールドカップ代表を、同時にいっぱい輩出しているってすごいですね!

そして、1999年にベルマーレに大事件が起こったわ。

なにがあったのですか?

親会社のフジタが、経営再建のためにベルマーレの運営から撤退してしまうわ。
当時のフジタは、経営不振を受けて銀行の管理下にあったの。
クラブは存続の危機に立たされたわ。

雲行きが怪しくなってきました。

予算の大幅縮小により、主力選手の放出を余儀なくされて1stステージ3勝、2ndステージ1勝に終わり、最下位でJ2降格が決まってしまうわ。
この頃は横浜フリューゲルスのように、親会社の経営不振で、チームにお金が出せなくなってしまうケースが出ていたの。
ベルマーレもそのために予算減を余儀なくされたんだけど、親会社なしでも継続していけるクラブ、つまりJリーグが目指した「企業スポーツからの脱却」のモデルを、いまベルマーレで作らなければという思いから親会社に依存せずに、市民クラブとしてやっていく道を選んだのよ!

簡単ではなさそうですが、将来を見据えていたんですね!

実は市民クラブとして、新会社を立ち上げることができたのは、フジタが過去の損失金や赤字を背負った上で、ベルマーレ平塚を精算し、新会社の湘南ベルマーレに、2億4100万円の出資金を残したことで再出発できたそうよ。
当時、銀行の管理下にあったフジタにとっては、この出資金を用意するのは、簡単なことではなかったと思うわ。
ベルマーレをなくしてはいけないという思いで、相当苦労したそうよ。

前年には横浜フリューゲルスの消滅がありましたからね。
全日空とはやり方が正反対ですね。

そして2000年、ホームタウンを広域化して、チーム名称を「湘南ベルマーレ」に改称するの。

最初の名前に戻ったんですね!

ただ予算も少ない中、なかなか浮上できず、10年間のJ2生活が続いてしまうわ。

10年はかなり長いですね、、

とはいえ、経営規模はJ1平均を大きく下回っていて、J2平均レベルだったから、昇格はなかなか難しかったのも当然かもしれないけどね。
転機となったのは、2009年の反町康治監督の就任ね。
この年は開幕5連勝でスタートダッシュをすると、アディショナルタイムでの得点が年間で通算10得点と、勝負強さを発揮したわ。
最終節では、4位の甲府と勝ち点1差の3位という状況で迎えたんだけど、2点差のリードを許してしまうの。

えーー、、絶体絶命ですね、、

そこから勝負強さを発揮して、3点をとって逆転し、勝利でJ1昇格を決めるわ!

すごいですねー!

ただ次の2010年は、けが人が続出した影響もあって、最下位で降格してしまうわ。
次の転機は、2012年に曺貴裁監督が就任したことね。

湘南ベルマーレは曺貴裁監督のイメージが強いです!

曺貴裁監督により、現在にもつながる「湘南スタイル」が確立されていくわ。
堅守速攻でアグレッシブに走るサッカーね。
この年、開幕から絶好調で首位に立った後、一時的に6位まで順位を落とすけど、最終的に2位で自動昇格を達成したわ。

1年で昇格を達成するってすごいですね!

ところが、経営状況は芳しくなくて、この年は一時的に債務超過に陥っているわ。
そこで、持株会への拠出金を募集して、増資をしたことで債務超過を解消したわ。
この拠出金は、ホームゲームやホームページでも呼びかけられたわ。

地域の人たちに支えられて、債務超過を解消できたんですね!

2013年もJ1をキープすることは難しくて、1年で降格しちゃったんだけど、翌2014年のJ2での戦いは圧倒的だったわ。
開幕から14連勝、その後も1敗を挟んで21戦負けなし。
勝ち点100越えの圧倒的な成績で再昇格を果たしたわ。

ものすごい成績ですね、、!

「湘南スタイル」が浸透したチームができたと言えるわね。
2015年には年間8位となり、「湘南ベルマーレ」としては、初のJ1残留を達成するわ。

8位はすごいですね!

営業収入で言うと、2015年時点でも、J2平均を少し上回る程度で、J1平均の半分ぐらいだったから、それを考えるとすごい事と言えるわ。
本当に戦えるチームを作ったと言えるわね。

そうですね!
予算をかけてもなかなか勝てないチームもある中で、優秀なチームといえますね!

ちなみにこの年、遠藤航を日本代表として輩出しているわ。
フル代表への日本代表選手の輩出は、フランスワールドカップ以来よ。
湘南ベルマーレユース出身で、純粋な生え抜き選手と言えるわね。

遠藤航も湘南ベルマーレが輩出したんですねー!

ただ、残念ながら2016年には再度降格が決まってしまったの。
2017年には、旧親会社であったフジタが、ユニフォームスポンサーに復帰したわ。

元親会社がスポンサーとして戻ってくるって珍しいですね!

この年には優勝を果たしてすぐにJ1復帰を決め、以降なかなか上位には食い込めてはいないけど、2022年もJ1での戦いを続けているわ。
2020年は最下位になってしまったんだけど、降格無しルールに救われた形になったの。

運も実力のうちですからね!

曺貴裁監督はパワハラ問題のために、2019年に退任してしまったんだけど、チームスタイルの構築に、大きく貢献したことは間違いないわね。

そうですね!

やはりどうしても、クラブの経営規模的には厳しいところがあるから、5年間J1を保つこともすごいことだと思うわ。
ちなみに2018年にはRIZAPグループが出資して、湘南ベルマーレ株式の50%を取得し、筆頭株主となってクラブ運営に参画したわ。
RIZAPの連結子会社になって、1999年以来の「親会社」ができたことになるわね。

なんでRIZAPはベルマーレに興味を持ったんですか?

若手選手の育成に強みがある育成型クラブであること、また、攻撃的でエキサイティングなサッカーであることを理由に挙げているわね。
これにより経営基盤は強化されたと言えるけど、2020年以降はコロナの影響を受けてしまって、経営が厳しくなり、2020年と2022年にはクラウドファンディングを実施したの。

クラウドファンディングですか?

Jリーグチームの中でも珍しい試みだと思うわ。
2回のクラウドファンディングで、合計2億円を超える金額が集まったわ!

2億円はすばらしいですね!

サポーターの愛はすごいわね。
J1での戦いは厳しいかもしれないけど、今後も頑張ってほしいチームね!

その通りですね!

それでは、今日はこの辺で!

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