【清水エスパルス】サッカー王国が清水直面した経営危機


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愛衣さん、今日はどんなお話ですか?

今日は清水エスパルスについて解説するわ。

清水エスパルスですか?
Jリーグ初年度からいるクラブですよね?
清水エスパルスにもやらかしがあるんですか?

一度、クラブが消滅しかけたことがあるのよ。

えぇー。
そうなんですね。


今日は清水エスパルスについて、クラブの成り立ちから解説するわね!

よろしくお願いしまーす。

清水エスパルスは1993年のJリーグ開幕を戦った10クラブ、通称:「オリジナル10」の1クラブで、オリジナル10の中では唯一、母体となるクラブが企業クラブではないクラブだったの。
ホームタウンは静岡県静岡市。
2003年に市区町村の合併する前は静岡県清水市だったわ。
チーム名の「S」は「サッカー、清水、静岡」の頭文字で、「パルス」は英語で心臓の鼓動を意味するの。
クラブマスコットはパルちゃんと、パルちゃんの恋人のピカルちゃん。
そして、パルちゃんの妹的な存在に当たるこパルちゃん。
清水区の商業施設、エスパルスドリームプラザに登場するパルちゃん、通称ドリパルちゃんもいます。
パルちゃんはサッカーに要求される速さ、強さ、賢さをもち、現代的で品格がある可愛く元気のよいキャラクターで、Jリーグのマスコットの中で屈指のパフォーマーとエスパルス公式サイトでは紹介されているわ。
ホームスタジアムは静岡市清水日本平運動公園球技場。
今はネーミングライツで「IAIスタジアム日本平」になっているわ。

スタジアムから富士山が見えるんですね!

練習場はエスパルス三保グラウンド。
実はIAIスタジアム日本平は、2013年から発効している、Jリーグクラブライセンス制度のスタジアムに関する規定を満たしていないの。
2014年7月にエスパルスはライセンス規格に沿った新スタジアムの建設を静岡市に対し要望書を提出したの。
紆余曲折あって、2022年3月ENEOSの清水製油所跡地に収容人員2万5千人超のサッカースタジアムを建設する構想が明らかになったわ。
総事業費は200億円で、静岡市や静岡県、地元企業などが共同で拠出する見通しで、実現すれば、2026年ごろの完成を想定しているの。
JR清水駅から徒歩10分程度の近さも魅力なの。

新スタジアムの建設までに、相当な時間がかかったんですね。
そもそも、どういった経緯で清水エスパルスは誕生したんですか?

1956年、清水市立江尻小学校に新人教師として赴任した堀田哲爾によって児童へのサッカー指導が始まり、清水市内に少年サッカーが普及したの。
1967年には清水市で全国初の小学生リーグが結成、国内初となる指導者育成の学校、「コーチング・スクール」が誕生するなど、サッカー育成の制度が確立されていたわ。
選抜チームのオール清水を結成して、JFA全日本U-12サッカー選手権大会にて優勝8回を数え、高校選手権では清水東・清水商業・東海大一などの市内の学校が1980年から1988年の間に、7度の決勝進出、優勝4回を重ねるなど、清水は多数のサッカー選手を輩出している地域になったの。
堀田哲爾は清水サッカーの生みの親とも言われているわ。

この時点では、Jリーグに参加できるようなクラブはなかったんですよね?

Jリーグができる際に、静岡県ではヤマハ(ジュビロ磐田)が日本サッカーリーグ1部の強豪で、Jリーグの参加意思を表明していたわ。
そこに清水でJクラブをつくりたいという運動が起こったの。
1990年6月5日、清水エスパルスの誕生母体である「清水市民クラブ」が、当時、静岡県社会人サッカーリーグ2部に所属していた清水FCをチームの母体として、Jリーグ参加意志の確認書をリーグへ提出したの。
Jリーグの検討委員会は、初年度の参加クラブを決める際に、ヤマハと清水がひとつになって、新しいクラブをつくったらどうかと働きかけたけど、両クラブともに単独で参加を希望したの。
Jリーグは、プロサッカーチームを大きく育てるホームタウンがあるとしたら、清水以上の候補地はない、と清水FCを評価して、戦力面での問題があったものの、Jリーグの理念である、従来の企業スポーツからの脱却、地域に根ざしたクラブ組織作りを体現できる清水FCを初年度の参加チームとして抜擢したの。

日本サッカーリーグ(JSL)のクラブでなく、静岡県社会人サッカーリーグのクラブなのに、Jリーグに加盟できたんですね。

1991年に静岡県で行われた、高校総体サッカー競技のメイン会場として、日本平運動公園球技場が完成したのも、Jリーグ加盟の後押しになったわ。

なるほどー。
Jリーグはスタジアムも重要視していましたからね!

1991年5月1日にテレビ静岡を発起人に、静岡銀行、静岡鉄道、鈴与、清水銀行、はごろもフーズなど地元企業や、テレビ静岡の系列局であるフジテレビ、関西テレビなど、一般法人株主153社と、市民持株会の出資によって、運営法人である、「株式会社エスラップ・コミュニケーションズ」を設立したの。
2千人あまりから成る市民持株会も、市民クラブの象徴とされたわ。
こうして、親会社を持たない市民プロサッカークラブの第1号が誕生したわ。

Jリーグが始まった当初、清水エスパルスの胸スポンサーがJALだったから、日本航空のクラブかと思ってました。

日本航空はスポンサーだね。
運営会社との資本関係はないわ。
ただ、当初は胸スポンサーを売り出していたわけではなくて、当時のエスパルスの営業担当は「売りもしないのに勝手に日本航空が買いに来た」と、面食らったらしいわ。
こうして、清水エスパルスは日本航空とのスポンサー契約を結んだわ。

日本航空、手が早いですね!

日本航空としては、初年度参加チーム、横浜フリューゲルスの親会社である全日空のJリーグにおけるイメージ独占を阻止する狙いがあったみたいね。
日本航空の機内では、エスパルスの勇姿がビデオに映し出され、機内誌には毎号、選手紹介の特集ページが組まれたわ、空港には「頑張れ!
エスパルス」のポスターが貼られ、各都市の繁華街にあるJALプラザでは、エスパルスグッズが販売されるようになったわ。

エスパルスと日本航空は、お互いにWin-Winの関係だったんですね。

2010年にJALが会社更生法を申請し、スポンサーを継続することが困難となったけど、チーム創設以来、継続してスポンサーとなってくれたことに敬意を表し、会社更生法適用以降は、エスパルスがJALに対し、無償で広告スペースを提供しているわ。

エスパルスもいいとこありますね!

Jリーグに加盟することになったエスパルスだけど、清水FCを母体とはしたけど、とてもJリーグで戦えるような戦力ではなかったわ。

静岡県社会人サッカーリーグに所属していたチームですもんね。

クラブの創設時には、全国の有力チームに所属していた清水出身の選手が、Uターンして加入したわ。
また地元の高校出身の新人選手が入団したの。
Jリーグが開幕した1993年は、2ndステージで14勝4敗で2位となり、Jリーグヤマザキナビスコカップの準優勝、天皇杯のベスト4進出と好成績を収めたわ。

なかなか強かったんですね!

1996年のJリーグヤマザキナビスコカップにて、PK戦の末に優勝。
エスパルスが悲願の初タイトルを獲得したの。
また、この年に開催されたアトランタ五輪では、エスパルスから伊東輝悦、白井博幸、松原良香がメンバー入りしたわ。
伊東輝悦はブラジル戦で決勝のゴールを決めたのよ。

マイアミの軌跡ってやつですね!

順調に力をつけていったエスパルスだけど、1997年にクラブが消滅しかける大事件が発生したわ。

なにが起こったんですか?

1997年に運営会社であるエスラップコミュニケーションズが20億円を超える負債を抱え、それまで実質的な運営主体企業であったテレビ静岡が、運営からの撤退を表明したの。
しかも新しい運営企業の獲得は一向に進まなかったために、エスパルスは解散の危機に立たされたわ。
エスラップコミュニケーションズは以前から放漫経営との評価をされていたわ。
その問題点は、「はじめに経費ありき」という経営姿勢と、観客動員数見込みの水増しなどに見られる「経営見通しの甘さ」、親会社を持たないために、開幕当時の選手獲得や施設整備などの過大な初期投資を埋める事が出来なかった運営に問題があったわ。

具体的には、どんなところに投資していたんですか?

地元出身の選手を他チームから呼び寄せるために、高額の年俸を支払ったり、チーム強化のために、一流の外国人選手や外国人監督を招聘したの。
元イタリア代表のダニエレ・マッサーロの獲得がいい例ね。
エスパルスは、開幕当時からリーグ戦の優勝を争うような成績を上げたんだけど、チームは最も多い時で42人の選手を抱え、しかも外国人選手を頻繁に入れ替えたわ。
それは、まず使うだけ経費を支出し、あとで赤字分を補填するという経営姿勢だったから可能だったの。

そんなことしてたら、いつか破綻しますね。


実際に破綻したけどね。
観客動員が減少に転じた1995年以降は、経営状況に見合わない新戦力獲得の支出や選手の人件費が、年間数億円規模の赤字となって表れたわ。
1試合の平均観客動員数は96年には13,000人に、97年には10,000人に落ち込んだの。
それにもかかわらず、収入を左右する入場者数見込みを実態以上に多く見込んだために、急速に経営状況は悪化したの。
1997年には、チームや運営会社の人員整理を行なったわ。
その結果、所属選手はJリーグでもっとも少ない数となり、選手の年俸総額も、6億円を下回るまでに抑えられたわ。
でも、それでも経営状況は好転しなかったの。
同年夏には、選手や社員に対する給料の未払いにまで事態は悪化したわ。

その後はどうなったんですか?

清水市民はさまざまな形でチーム再建への運動を模索したわ。
サポーターたちの自発的な運動はマスコミによって全国に伝えられ、エスパルスの存続を願う声が強まったの。
清水サポーターや市民ばかりでなく、他チームのサポーターも各地で署名活動を行ったわ。
これらの活動は、31万人以上の署名と1,500万円の募金という形となったの。

選手たちはどうしたんですか?

選手たちもチームが消滅するかもしれない状況でも、ほとんどの選手が残留したわ。
選手たちに残留を決意させた要因として、当時チームを指揮していた、アルゼンチン出身のオズワルド・アルディレス監督とイングランド出身のスティーブ・ペリマンコーチが12月初旬の段階で、翌年の契約を更新し、チームへの残留を決めていたことが挙げられるわ。
選手たちが不安に陥っていたその時に、監督がいち早く翌年の契約を結んだことで、選手たちの不安が解消されたの。
また、清水市民による存続運動も、選手たちが残留する要因になったの。
選手たちは、翌年の年俸が引き下げられることを承知した上で、契約を更新したのよ。
清水エスパルスの第1号契約選手であった大榎克己は、「チームが残るなら、給料は要らない」とコメント。
MFの澤登正朗は30万人以上の署名があり、それだけチームを支えようと思ってくれているサポーターがいたら、我々選手は裏切れないですよ。
それはみんな思っていたと思います。
とインタビューに答えているわ。

選手たちのチームとサポータへの愛を感じますね。

そして、清水に本社を置く、総合商社の『鈴与』が、市民の熱意に押される形で、エスパルスの運営支援に乗り出すこととなったわ。
鈴与は地元の有力企業に呼びかけ、共同出資による運営新会社の設立を模索したの。
1998年1月7日に『鈴与』を筆頭株主に静岡鉄道、静岡瓦斯、静岡新聞社、小糸製作所など、地元企業数社の出資により、当時、月刊誌「しずおかゴール」を発行していた、鈴与の子会社で出版業を手掛けていたサッカーコミュニケーションズ株式会社を、株式会社エスパルスへ商号を変更し、株式会社エスパルスを受け皿会社として、エスラップ・コミュニケーションズより営業権を譲り受けたの。
これをもってエスラップコミュニケーションズは清算されたわ。

なんとか消滅の危機を脱することができたんですね。

新運営会社は発足したものの、依然として経営状況は厳しかったの。

社長に就任した安本文彦は、赤字を出さないために厳しい経営姿勢を打ち出したわ。
経営安定のために支出を抑えコスト意識を徹底すること、営業活動を積極的に行うことを社員に徹底させたわ。
経営のスリム化のため社員の整理も行われ、社員数は前会社と比べて半分以下となったの。
新会社発足後から、必死の営業活動が行われたわ。
スポンサーを増やすために、日本平球技場の広告看板のスペースを大幅に増やしたり、シーズンシートの販売増加に努めたわ。
支出も抑えるために、人件費の削減や全般的な経費節減を徹底したの。
そういった努力もあり、1998年度の最終的な経常損益は2,200万円となり、一時は年間5億円以上もの赤字を生み出していた経営状態から大きく改善されたわ。

チームの成績はどうなったんですか?

1998年の天皇杯は決勝進出を決めたわ。
1999年の元旦に行われた天皇杯決勝では、横浜フリューゲルスに敗れ準優勝だったけど、横浜マリノスとの合併が決まっていた、横浜フリューゲルスのラストマッチの相手だったわ。

横浜フリューゲルスの合併の話は、こちらの動画を見てくださいね。

その後は、1999年のJリーグ2ndステージで優勝したわ。

経営危機からわずか2年で優勝したんですね。

チャンピオンシップではジュビロ磐田に敗れて、年間順位は2位になちゃったけどね。
それでもこの優勝は、ホームタウン全体に支えられて勝ち取ったものとして、サッカー界全体に希望をもたらしたわ。
その後は、2016年に1度だけJ2に降格したけど、1年でJ1に復帰しているわ。

また強い清水エスパルスが見てみたいですね。

それでは、この辺で!

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