【アビスパ福岡】運営資金不足で存続の危機に直面!


このブログの内容はYoutubeでも、ご視聴いただけます。


愛衣さん、今日はどんなお話ですか?

今日はアビスパ福岡について解説するわ。

アビスパ福岡ですか?
日本代表の冨安選手を輩出したクラブですね!

派手なイメージはないかもしれないけど、とても歴史のある、地元に愛されたクラブなのよ。
今日はアビスパ福岡について、クラブの成り立ちから解説するわね!

よろしくお願いしまーす。

まずはアビスパ福岡の紹介から。
ホームタウンは福岡県福岡市、ホームスタジアムはベスト電器スタジアム。
ラグビーでも使用可能な球技場で、以前はレベルファイブスタジアムと呼ばれていたわね。
マスコットはアビーとビビー。
熊ん蜂をモチーフにしたキャラクターなの。
アビスパ福岡は、1982年に創部された中央防犯サッカー部が前身なの。

なんだか強そうですね、ガードマンが選手だったのですか?

その通り!
選手が警備員と兼業をしていたんだけど、県リーグから着実に昇格していったわ。
ちなみに、このチームは静岡県藤枝市で活動していたチームなの。

え!

福岡県ではないのですか?
それも静岡って全然場所が違いますが、、

その辺りも次に説明するわね。
こうして1994年には、中央防犯FC藤枝ブルックスという名前に改名し、プロ選手も補強して、Jリーグ入りを目指したわ。
同じ年にはJリーグの準会員にもなったの。
ところが、当時藤枝市にはJリーグの基準を満たすスタジアムが無い状態だったわ。
今は藤枝総合運動公園サッカー場ってところがあって、J3の藤枝MYFCが使っているんだけど、完成は2002年で、それを待てる状況ではなかったわ。

厳しい環境ですね、、

既に静岡県には清水エスパルスとジュビロ磐田の2チームがあったから、そういう意味でも難しかったわね。
そこで、当時Jリーグのチームを積極的に誘致していた、福岡市の要請を受けて、1995年に福岡市にホームタウンを移転し、「福岡ブルックス」に改名するわ。

ここで福岡に移ったんですね、、そういえばサガン鳥栖の解説の時に、この話が出てきていたのを思い出しました!

そして1995年、元アルゼンチン代表のホルヘ・マリオ・オルギンが監督に就任。
JFLを戦うことになったわ。
この年は京都パープルサンガ、サガン鳥栖の前身の鳥栖フューチャーズ、ヴィッセル神戸など、この時のJFLには、今ではJ1にいる、そうそうたるチームが所属していたの。

強敵ぞろいですね、、!

他にもまだプロ化はされていなかったけど、ヴァンフォーレ甲府やFC東京の前身の東京ガス、川崎フロンターレの前身の富士通、徳島ヴォルティスの前身の大塚FC、コンサドーレ札幌の前身の東芝、ベガルタの前身のブランメル仙台、モンテディオ山形の前身のNEC山形、大宮アルディージャの前身のNTT関東なども所属していたわ。

むしろほとんどのチームが今ではJリーグのチームになっているんですね。

だけどこの年は24勝6敗、得失点差+58で圧倒的な強さを見せつけて優勝し、見事翌年からのJリーグ加盟を決めたの!

30試合で得失点差+58ってすごいですね!

特にウーゴマラドーナが27得点と活躍したわ。

マラドーナってあのマラドーナと関係あるんですか?

その有名なディエゴマラドーナの弟よ。

そうなんですね!

1996年からJリーグで戦うことが決まったけど、ここで1つ問題が発生するわ。

え、いきなりなんですか?

ブルックスというチーム名が、グッズを販売する時に商標権を侵害する懸念があったの。
具体的には、紳士服ブランドのブルックスブラザーズね。

あーなるほどー!
確かにそうですね!

そこで、Jリーグ加盟に合わせて、チーム名が「アビスパ福岡」に改名されたわ。
アビスパはスペイン語で蜂という意味で、蜂の行動特性である集団行動性、俊敏性から、軽快、統制力、多様なグループ攻撃というチームのスタイルを表しているそうよ。

アビスパ福岡の誕生ですね!

さて、Jリーグに参加したアビスパだけど、いきなり3年連続で最下位になってしまうの。
元日本代表の都並敏史なども補強したけど、やっぱり戦力不足は否めなかったわ。
そして、連続で最下位になったことで、J1参入決定戦への参加が決まってしまうわ。

J1参入決定戦ってなんですか?

1999年から、J2が発足するのに伴って、J1とJ2を振り分けるプレーオフが開催されたの。
参加5チーム中3チームがJ1、2チームがJ2に振り分けられる仕組みだったわ。
J1参入決定戦ではなんとか踏みとどまって、1999年もJ1で戦うことが決まったの。

良かったですね、、

その後の2000年には、ネストール・オマール・ピッコリが監督に就任。
フィジカルの向上を図って、初の1桁順位になる、6位に躍進したわ。

やっと調子が出て来ましたね!

ちなみにこの年には、ピッコリ監督が、ナビスコカップの初戦に出場するメンバーを、リーグ戦から大幅に変えることを明言し、それがJリーグから問題視されたわ。

具体的になにが問題視されたのですか?

やっぱりカップ戦の権威付けという意味で、スポンサーへの配慮の問題があったみたいよ。
他にもメンバーを大幅入れ替えしているチームはあったけど、明言しちゃったのがまずかったみたいね。
これを機に、次の試合の先発メンバー11人は、直前のリーグ試合5試合のうち、1試合以上先発メンバーとして出場した選手を、6人以上含まなければならないという、いわゆるベストメンバー規定ができたわ。

アビスパ福岡がそのきっかけだったんですね、知らなかったです。

まあ福岡のサポーターとしては、監督の方針に賛成だったみたいだけどね。
なお、次の2001年は選手の不祥事等もあって、チームがうまくいかず、15位でJ2降格が決まってしまうわ。

なかなかうまくいくものではないですね、、

でもJ2降格初年度は8位だったけど、そのあとは強豪チームとして強さを発揮して、上位に入り続けたの。
2003年には松田浩監督が就任し、若手を使って育成する方針に転換したわ。
そして2005年にそれが実って、2位でJ1昇格を果たすの。

やりましたねー!
すごいですねー!

ところがJ1の壁は厚く、2006年は16位で入れ替え戦に回ってしまうわ。
入れ替え戦ではヴィッセル神戸にアウェーゴールの差で負けてしまい、1年でのJ2降格が決まってしまうの。

残念ですね、、なかなかJ1では苦戦していますね。

2007年からまたJ2での戦いになったけど、このころから別の問題が出てくるわ。

もしかして、、やっぱり経営問題ですか?

その通りよ。

やっぱりこのころは経営問題が出てくるチームが多いですね。

Jリーグ人気が一段落したのもあって、大きい親会社がいないチームには、なかなか厳しい環境だったわ。
まだクラブライセンス制度とかもなかったから、無理な経営をするチームもあったからね。

さて、アビスパ福岡の場合なんだけど、もともと経営基盤が強いクラブではなく、慢性的な赤字体質が続いていたの。
これまでにも、1998年に福岡市が4億円の増資引き受けと、最大9億円の融資を拠出、2006年に、資本金の99%減資を実施して、地元企業にも追加支援を求めたわ。
2007年限りで、胸スポンサーであったコカ・コーラウエストジャパンが撤退。
胸スポンサーの後継が決まらないまま、2008年シーズンを迎えたわ。

え、それって胸に何も書いていないってことですか?

その通り、胸にスポンサーの名前がないユニフォームになってしまったの。

それはプロのチームとしてちょっとまずいですね。

2008年には、パチスロ機メーカーの大都技研が資本参加して、ユニフォームスポンサーになるという話もあったみたいなんだけど、ユニフォームスポンサーになるのは見送られたわ。

どうしてですか?

大都技研は、関連会社がパチンコホールの経営をしていて、それがJリーグから難色を示されたみたいね。

この辺りは、大分トリニータの回でも同じような話をしたわね。

そうでしたね、私も思い出しました!

2009年にはパンツを除いて、ユニフォームスポンサー無い状態でシーズンに突入するという、異常事態になったんだけど、無事に4月にはエバーライフが胸スポンサーに決まるわ。
2010年には電通出身の社長が就任し、広告スポンサー数を90社から150社に増やしたの。
この年には単年で黒字化を達成しているわ。
そしてこの年、中町公祐と末吉隼也の若手ボランチを中心としたチームで、J1への昇格を果たすわ。

復活してきましたねー!

けど、やっぱり1年で降格して、2015年に井原監督が就任するまで、J2での生活が続くわ。

そう上手くはいかないものですね、、

そして2013年、経営問題が表面化してしまうわ。
5月ごろから、運営会社の資金繰りが厳しくなって、短期借入で資金を回していたんだけど、9月末時点で、約9億6000万円の営業収入を見込んだ予算に対して、実際の営業収入が約8億2000万円になってしまっていたの。
だけど、10月の時点で新規の借入が出来ない状況で、手元資金が無くなる11月末に、運営資金の約5000万円が決済不能になってしまい、12月の選手の給料の支払いが、遅れる可能性がある状態だったわ。

うわあ、大変ですね。

そこで個人・法人からの小口協賛金2645万円や、辛子明太子の製造メーカーのふくやからの支援商品の販売による間接的な支援があり、なんとか年内の資金繰りは確保したわ。

やっぱり最後はサポーターの力ですね、、!

ただ、まだ当面の資金を確保しただけだったわ。
ちょうどクラブライセンス制度が始まったタイミングだったんだけど、2014年の7月に発表された2013年分の決算で、債務超過になっているのが報告されたわ。
このまま9月のライセンス審査までに、解消めどが無ければライセンスはく奪の危機よ。

あと2か月しかないじゃないですか。

8月に、福岡市発祥のシステムソフトを対象として、第三者割当増資実施を株主総会に諮ることが決議され、それによりなんとか債務超過を回避する見通しになったわ。
そしてシステムソフトの親会社である、アパマンショップホールディングスの川森敬史氏が、2015年に社長に就任したわ。
その結果、2015年度にスポンサーが約1000社に増加したの!

すごいですね、ものすごく増えましたね!

2015年はわずか1年で、前年比で約7億円も収入を増やしたわ。
そしてさっきも触れたとおり、井原体制のもと、J2で3位に入り、昇格プレーオフを勝ち上がって、5年ぶりにJ1昇格を決めたの。

経営が良くなると、成果もついてくるんですね!

ただ、また1年で降格してしまったの。
その後J2で苦節4年の末、2020年にJ1昇格を決めるわ。

わたし気づいちゃいましたが、きれいに5年おきに昇格していますね?

その通り、5年周期と言われていたわ。
2021年は、シーズン中に6連勝も達成して、年間8位でシーズンを終えたわ。
2001年以降で、初めてJ1残留して、5年周期を打ち破ったわよ!

今後のJ1での戦いも楽しみですね!

それでは今日はこの辺で!

このチャンネルでは、日本サッカーの生い立ちなどを解説しています。

面白かった、参考になった等があれば、高評価、チャンネル登録をお願いします。
ご視聴、ありがとうございました!