ヴァンフォーレ甲府・赤字経営、解散危機!Jリーグ地方プロサッカークラブの運営の難しさ。


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愛衣さん、今日はどんなお話ですか?

今日は「ヴァンフォーレ甲府」について解説するわ。

ヴァンフォーレ甲府ですか?
昔はJ1にいたこともあるクラブですよね?

今はJ2にいるクラブだけど、J1に3回昇格したこともあって、日本代表の伊東純也も輩出しているクラブなのよ。

そうなんだー!

今日はそんな地方クラブの優等生ともいえる、ヴァンフォーレ甲府について解説するね!

よろしくお願いしまーす。

ヴァンフォーレ甲府は、1965年に創部された甲府サッカークラブが前身であり、1995年にチーム名がヴァンフォーレ甲府に変更されたわ。
ヴァンフォーレはフランス語で風と林を組み合わせた造語で、山梨で有名な武田信玄の風林火山に由来しているのよ。

かっこいいですね!

ヴァンフォーレは1999年のJ2リーグ創設時から加盟した10クラブ、通称J2オリジナル10のひとつなの。
ちなみに、J2オリジナル10には他に、川崎フロンターレやFC東京もいるわ。

今ではJ1でも強豪になっているチームがいたんですね!

ホームタウンはもともと「山梨県甲府市、韮崎市を中心とする13市町村」だったんだけど、2005年から山梨県の全市町村に広域化されたわ。
ホームスタジアムは「JIT リサイクルインク スタジアム」よ。

変わった名前ですね!

これは2021年からのネーミングライツで、正式名称は、山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場と言うわ。
練習場は、専用で使える練習場がずっと無くて苦労していたんだけど、2013年に、クラブが優先使用できるクラブハウスとピッチが韮崎市に完成したわ。
マスコットは甲斐犬をモチーフにした、ヴァンくんとフォーレちゃん!

マスコット、可愛いですねー♪

そんなヴァンフォーレ甲府なんだけど、Jリーグに加盟してすぐは苦難の連続だったの。

そうなんですか?

まず、Jリーグへの加盟を急いだせいで、1998年時点で債務超過に陥っていたの。
1997年と1998年の2年間だけで、3億9,000万円の累積赤字を計上していたのが原因ね。

ものすごい赤字じゃないですか!

まあ、プロ化を無理やり急いでしまったのね。
今はクラブライセンス制度があるから、無理なJリーグ加盟はできなくなっているの。
もしも今だったらJリーグへの参入自体難しかったと思うわ。
そしてこの赤字のせいで人件費削減をせざるを得なくなって、主力選手が流出してしまったのよ。

せっかくJリーグのチームができたのに、前途多難ですね、、

1999年から2001年まで3年連で続最下位になってしまうわ。

ひええ、、

2000年には19連敗・26試合勝ち無しを記録しているわ。
ちなみにこの連敗記録は今でも破られていないわよ。

ええー!

どのくらいの期間勝ってなかったんですか?

3月30日にベガルタ仙台に勝ったのを最後に、9月15日にアルビレックス新潟に勝つまでよ。

ほぼ半年じゃないですか!
私だったら耐えられないですよ!

成績だけじゃなくて、県民からの関心も薄くて、観客数も伸び悩んでいたの。
1999年9月10日に行われたFC東京戦では、観客数619人という、当時のJリーグ最低観客数を記録するわ。

それ、私の学校の生徒数の方が多いですよ!

そんな状況もあって、2000年には経営危機問題が浮上するの。
1999年の時点で3年連続赤字決算になっていて、2000年にはさらに主力選手を放出して、経営改善を図ったんだけど、開幕までにユニフォームスポンサーが決まらないような状況で成績の悪さもあって、観客動員も伸びなかったの。
2000年末には1億円を超える大幅な債務超過になって、給料の支払いが遅れるような状況になったのよ。

給料が払えないのはやばいですね、、

そもそも、ヴァンフォーレ甲府は親会社を持たない市民クラブで、もともと大きなスポンサーがいなかったの。
今でこそ市民クラブはいっぱいあるけど、当時は他の市民クラブは清水エスパルスぐらいで、もともとサッカー王国としての土壌があり、ある程度周囲に人口もいる清水とは置かれていた環境の厳しさが違ったわ。

そもそもいばらの道だったのですね、、

経営陣も経営知識や経験のない人で固められていた状況だったからね。

プロのチームと言えない状況だったんですね、、

そこで、株主や自治体による話し合いが持たれて、チームの運営会社は支援を要請したんだけど、金銭面の支援を断られてしまったの。
解散やむなしという状況になったけど、そこで立ち上がったのがサポーターたちよ。
署名活動を頑張って、27,000人の署名を集めたの!

やっぱりサポーターのちからってすごいですね!

それを受けて、状況を見かねた川淵チェアマンも自治体に支援要請をしてくれたのよ。

ここで川淵さんが出てくるんですか!

ひとまず2001年の存続は決まったけど、2002年以降のチーム存続には、厳しい条件がつきつけられたの。

どんな内容ですか?

平均観客動員数3,000人以上、クラブサポーター数5,000人以上、スポンサー収入5,000万円以上よ。

なんだか達成できない数字じゃなさそうですけど、、、2000年はどうだったんですか?

それぞれ1,850人、2,698人、2,600万円よ。

それは厳しいですね、、全部2倍近いじゃないですか。

そこで、筆頭株主の山日YBSグループから、海野一幸っていう人が社長になるわ。
海野社長は山梨の企業とコネクションがあり、スポンサーを次々に増やしていったの。
早くも6月にはスポンサー収入の条件をクリアするの。

え、すごい!

残る条件もシーズン終了までに達成して、見事チームの存続が決まるわ。
経営危機が報道されて、スタジアムに来てくれる人が増えたみたいね。

良かったですね!

それだけじゃなくて、ボランティアの協力もあって、費用が圧縮されたのが、経営に貢献した部分もあるわ。

本当に地域の人たちに支えられたんですね。

そして、2001年度は黒字化を達成し、2002年度以降の存続も決まったのよ!

やりましたね!

ここから、経営陣の努力もあって、多数の小口スポンサーを獲得し、収入も右肩上がりになるわ。
債務超過の解消は2006年、累積赤字の解消は2016年までかかるんだけど、大企業に頼らず、多数の地域企業に支えられるクラブとして、後発の市民クラブの見本にもなったわ。

フロントの力って本当に大事なんですねー!

さて、クラブとしての足元が固まったところで、サッカーの話に戻るわよ。
さっき話した通り2001年までは、3年連続最下位だったんだけど、2002年に大木武監督が就任。
この年には、初めて最下位を脱出して、7位になるわ。
大木監督は1年で退任しちゃったけど、次の2003年には、元日本代表の小倉隆史を獲得。

あのレフティーモンスターですか?

すごいですね!

2002年を上回る5位という成績を上げるわ。
そして2004年、この年には一時昇格圏内の2位になるんだけど、後半に失速してしまって、この年も7位でシーズンを終えるわ。
そして迎えた2005年、大木監督が復帰して、大宮アルディージャからバレーを獲得するわ。

すごい選手なんですか?

大宮アルディージャに所属していた3年間で、50ゴールの実績を上げているわ。

めちゃめちゃすごいじゃないですか!

この年は期待通りの大活躍で21ゴールを達成したわ。
そして、この年の最終節を迎えた時点で、自動昇格の2チームは決まっていたんだけど、J1との入れ替え戦に出場できる3位を、ベガルタ仙台と争っていたわ。
仙台と勝ち点1点差で4位という状況だったの。
そんな中、見事逆転で勝ち抜き、仙台は引き分けたから、3位になったの!

やりましたね!

けれど、これでまだ昇格が決まったわけじゃなくて、柏レイソルとの入れ替え戦になったわ。
入れ替え戦はホーム&アウェイで1試合ずつ行うんだけど、1試合目は甲府のホームで、2-1でリードしたわ。
そして2試合目に、さっき話したバレーが伝説を作るの。
1人で6点を取るJリーグ新記録で大勝したわ。

ダブルハットトリック!

そんなことあるんですね!
しかもJ1昇格がかかった試合で!

これで念願のJ1昇格を決めるわ!

本当にやりましたね!

ちなみにこの記録は、この前の京都の時に話した13-1の試合で更新されたわ。
そして、J1に初昇格した2006年は、平均観客数が12,214人を記録するの。

600人ちょっとしか入らなかった時と比べると、ものすごく増えましたね!

甲府市の人口が20万に満たないことを考えると、この数字は驚異的よ。

本当に地域の人たちに愛されるクラブになったんですね。

さて、その後なんだけど、やっぱりJ1の壁は厚いわね。
2006年は15位でギリギリ残留したんだけど、2007年は17位で降格してしまったわ。

やっぱりJ1は厳しいですね、、

再びJ2に降格してしまったんだけど、それでも平均観客数が1万人を割ることは無かったのよ。
地域に愛されているというのが、すっかり甲府の強みになって、J2ではトップクラスの集客だったわ。
そして2010年、のちに日本代表にも選ばれるハーフナー・マイクの活躍もあり、再びJ1に昇格するわ。
ただ、今度は1年で降格してしまうの。

エレベータークラブになっている感じですね。

2012年には、前年に獲得したダヴィや、途中加入したフェルナンジーニョの活躍で、2位になって、1年での昇格を決めるわ。
ヴァンフォーレ甲府は、強力な攻撃の選手が引っ張って昇格するケースが多いわね。

J2での戦い方を知り尽くしている感じですね。

この年には24試合無敗のJ2記録を打ち立てるわ。

26試合勝ち無しがあったことを考えると感動しますね。

そして2013年から2017年まで、5年間J1で戦い続けるの。
2014年、2015年にはチーム最高の13位になるわ。

がんばっていますね!

他のクラブが、もっと人口の多い街のクラブだったり、大企業がバックについているクラブも多い中、5年間も戦い続けたのはすごいわね。

そっか、それを考えるとJ1を維持するのも簡単じゃないんですね。
ちなみに、伊東純也がいたのもこのころなんですか?

そうよ、伊東純也がいたのは2015年なんだけど、他にも有力選手がたくさん在籍しているわ。
有名なところだと、水野晃樹、羽生直剛、佐々木翔などの新旧日本代表選手に加えて、現ガンバ大阪のパトリック、現V・ファーレン長崎のクリスティアーノなどが在籍しているわね。

全員そろったらめっちゃ強そうですね、、

2018年からは、再びJ2で戦っていて、2019年には5位でJ1昇格プレーオフに進出したけど、昇格は逃し、2020年には4位、2021年には2位の京都と勝ち点差4で惜しくも3位になったけど、コロナの影響でプレーオフが無くなってしまったから、昇格のチャンスを得ることはできなかったわ。

ちょっと不運ですね。

そういうことで、2022年もJ2で戦っているんだけど、またJ1で戦う姿を見てみたいわね。

そうですね!
やっぱり都会のクラブばっかりが、J1に居続けるのも面白くないですからね!

2022年からはJ1昇格プレーオフも復活するし、チャンスはあると思うわ。

今年も頑張ってほしいですね!

それでは、今日はこの辺で!

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