大分トリニータ・設立から8年でJ1昇格!スポンサー撤退で経営危機、さらにJ3降格を名将片野坂監督が救う!


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愛衣さん、今日はどんなお話ですか?

今日は「大分トリニータ」について解説するわ。

大分トリニータですか?
過去には西川周作、梅崎司なんかが所属してましたね!

そんな大分トリニータだけど、スポンサーに翻弄されて、経営危機に直面していた事もあったの。

そうなんですか!
気になります。

それじゃ、今日は「大分トリニータ」に解説するね。

お願いしまーす。

大分トリニータは、大分市、別府市、佐伯市を中心とする大分県全県をホームタウンとするプロサッカークラブです。
運営法人は株式会社大分フットボールクラブ。
クラブ名は、三位一体を表す英語「トリニティ」とホームタウン名の「大分(Oita)」を合わせた造語で、イタリア語で「三位一体」を表すTrinitaと同じ綴りになっているの。
県民・企業・行政が一致団結することを表しているわ。
ホームスタジアムは昭和電工ドーム大分、練習場は大分スポーツクラブ、および昭和電工サッカー・ラグビー場。
クラブマスコットは、亀がモチーフの「ニータン」 と、ウサギをモチーフにした準マスコットの「リッジー」。
2006年にエンブレム、ロゴマーク、チームフラッグが「Tフレアー」と呼ばれるデザインコンセプトにより一新され、クラブとしての略称が、「大分フットボールクラブ」から「FC大分」に変更されたの。
2021年シーズン終了時点で、J3在籍後にJ1昇格を経験した唯一のクラブなの。

J3からJ1まで、全てのカテゴリーを経験してるんですね!

母体となるクラブがない、親会社となる大企業がない、芝生のグラウンドがない等、全てをゼロからのスタートしたクラブなの。

全く何もないところから、クラブを作ってJ1まで行くのは大変ですよね!

大分トリニータは、それを成し遂げたの。
それでも、大分トリニータには、経営危機が何度も訪れたわ。

その話、詳しくお願いします。

まずは、大分トリニータの生い立ちから。
1994年4月に任意団体「大分フットボールクラブ」として発足したわ。
「大分トリニティ」という愛称が付けられたの。
最初は大分県社会人サッカーリーグに属したわ。
ゼロからのスタートであったため、理想と現実はかなりのギャップがあったわ。
最初の試合の観客数はわずか3人運営は大半がボランティア選手は大半がアマチュアで、練習は夕方6時以降練習場は野球場のマウンドを削って使用など。
厳しい環境ではあったけど、設立10年以内にJ1昇格、観客3万人達成を目標に、地道な努力を重ねたの。
資金的にも大口スポンサーはなく、一口5万円のスポンサーのため、1日に40から50社を訪問するなどして、1999年のJ2に加盟するまでに、約500社とスポンサー契約したわ。

500社のスポンサーって凄いですね。
チームの戦績はどうだったんですか?

大分県社会人サッカーリーグと九州サッカーリーグを連覇して、1996年に全国地域サッカーリーグ決勝大会で2位に入り、発足から2年で、ジャパンフットボールリーグへ昇格。

発足から2年でJFL!
凄いですね!

1999年1月に運営法人となる、株式会社大分フットボールクラブを設立。
1999年から発足したJ2に初年度から参加したの。
「トリニティ」の名前が商標登録の関係で、正式なチーム名として使えないため、「大分トリニータ」へと呼称を変更したの。

発足から5年でJリーグ加入したんですね!
めっちゃ早い!

2002年にはJ2で優勝して、クラブ設立から僅か8年という短い期間でJ1昇格を決めたの。

おお!

目標達成ですね!

そんな中、クラブ創設以来ユニフォームスポンサーを務めていたペイントハウスが、2004年度の途中で撤退したの。
これをきっかけとして大分フットボールクラブは経営難に陥り、2005年9月時点で7億2,500万円の累積赤字、3億4,400万円の債務超過となった。
また、これと前後して、2004年途中にペイントハウスの代わりに胸スポンサーに就いた、ミュージシャンで音楽プロデューサーの小室哲哉が役員を務めるイベント会社「トライバルキックス」による年間スポンサー料、7,000万円の滞納が発覚したの。

あの小室哲哉もスポンサーだったんですか!

大分フットボールクラブは運転資金確保が緊急の課題となり、大分県に公的支援を要請したわ。
これを受け、大分フットボールクラブは、大分県スポーツ文化振興財団から2億円の融資を受けた他、新たにユニフォーム胸スポンサーとなった、パチンコホール運営会社のマルハンが、2006年から6年間の年間シートを購入して、資金繰りを乗り切ったわ。
マルハンのスポンサーにはJリーグの規定に抵触するとの指摘があったけど、このときは特例として認められたわ。
2006年12月にJリーグから、パチンコホール業界がJリーグのスポンサー自粛カテゴリーであたり、2007年シーズン以降のユニフォームスポンサーとして許可できないとの方針が示されたことを受け、マルハンはこれ以降「スペシャルスポンサー」として、トリニータの支援を行うことになったわ。
でも、マルハンは2009年「ユニホームに企業名が入らず広告対価が伴わない」ことを理由に、スポンサーを完全撤退したの。
加えて、2006年以降にスポンサーに名を連ねていた、フロンテック、オメガプロジェクトが、役員逮捕を起因とする経営難などから、2009年までに相次いで撤退。
さらに一度はスポンサー継続を決めていたジョイフルも、業績悪化でユニフォームスポンサーから撤退。
そのうえ2009年途中からユニフォームの胸スポンサーとなったフォーリーフジャパンは、そのビジネス手法などを巡り、当初からサポーターの反発を受けていたこともあって、同年限りでスポンサーから降板するなど、また経営危機が表面化していったわ。

同じ時期に大口スポンサーの撤退が相次いだんですね。

2009年1月期現在で累積赤字が11億円、債務超過額が5億5,800万円となっていて、翌2010年度の運営費を前倒しで使う、自転車操業のような経営方針もあいまって、2009年11月からのリーグ戦、残り3節の運営が困難となったわ。
大分フットボールクラブは、Jリーグが設立した公式試合安定開催基金からの緊急融資を申請したの。
J1所属クラブが同基金からの融資を申請するのは史上初だったわ。
申請の際、本年度のみで2億円程度不足とみられていたが、大分県は本年度のみで約4億円不足すると発表したの。
11月17日、Jリーグは3億5,000万円の融資を決定したけど、「経営破たんに近い、あってはならない経営」と指摘したわ。
当初の緊急融資を受け、大分フットボールクラブは再建計画書をJリーグに提出したが、「経費削減が不十分」として、追加融資分の2億5千万円の承認が否決されたの。
大分フットボールクラブは地元銀行からのつなぎ融資を受け、なんとか資金を確保したの。
これを受け、大分県や地元企業らが中心になって、新たに「大分トリニータを支える県民会議」が発足したわ。
また大分市役所内にチーム支援のための募金箱を設置し、当面5,000万円を目標として募金を募ったわ。
2010年1月19日、Jリーグは再提出された運営予算を削減した計画書に基づき、更なる予算圧縮を要望しつつ、残り2億5,000万円の追加融資を決定したの。
Jリーグから合計で6億円の融資になったわ。
大分県は再建支援のため、これまで半額免除であった大分スポーツ公園総合競技場の使用料を、2010年シーズンは全額免除することを決定したの。
2012年1月31日、Jリーグの公式試合安定開催基金から受けていた融資の内、2億円を返済したけど、10月12日までに残りの返済を完了しなければ、J1昇格プレーオフ進出権を満たしても、2013年度からJ1昇格をすることができないという条件が課せられたわ。
市民・団体などから寄付を募り、最終的には約1億2,380万円に達したわ。
この支援金に、地元経済界からの支援、大分県等の行政からの支援を合わせて、大分フットボールクラブは、10月12日に公式試合安定開催基金からの融資を完済したわ。

なんとか完済できたって感じですね。

2019年に貸会議室大手の株式会社ティーケーピーと九州乳業が筆頭株主となったことで、やっと経営が安定してきたわ。
経営面だけじゃなくて、成績面でも大分トリニータは落ちていったの。

まだあるんですね。

J2で2015年シーズンが始まると、新加入選手が機能せず、戦術の浸透の失敗で開幕から低迷したわ。
不安定なチーム状況のまま21位でリーグ戦を終え、J2・J3入れ替え戦に出場する事となったわ。
入れ替え戦はJ3で2位の町田ゼルビアに2戦とも敗れ、J1経験クラブとして初のJ3リーグ降格となったの。

J3降格は厳しいですね。

2016年、新監督としてガンバ大阪でヘッドコーチを務めていた、片野坂知宏が就任。
クラブ初の、大分トリニータ在籍経験者の監督就任となった。
ここから怒涛の巻き返しが始まるの。
2016シーズンはJ3優勝、1年でのJ2復帰を果たしたわ。
そして、長年に渡り中心選手として活躍した、高松大樹が現役を引退したの。
現役最後の試合となった、ホームで開催されたYSCC横浜戦には、当時のJ3記録となる、11,065人の観衆が詰めかけたの。
1試合平均も7,771人で史上最多記録を大幅に更新したの。
2018年シーズンはJ2で、23勝7分12敗の勝ち点76で全日程を終了。
町田ゼルビアと横浜FCに勝ち点で並ばれたものの、得失点差により自動昇格圏内の2位を守り、6シーズンぶりのJ1復帰が決定したの。
J3リーグ在籍経験のあるクラブとしては、初のJ1昇格となったわ。
さらに、同シーズンでの得点数76はリーグ最多を記録したの。

片野坂さん、名将ですね!

「カタノサッカー」と呼ばれる巧みな戦術は、ファンのみならずサッカー界から高い評価を受けたの。
2018年にはJ2、2019年にはJ1の優秀監督賞を受賞したわ。
しかし2021シーズンは、主力選手が次々と移籍するなど、チームの歯車がかみ合わず無念のJ2降格になったわ。
でも、人柄、そして手腕で多くのサポーターから、絶大な信頼を受ける監督だったわ。

経営も大変だけど、またJ1での戦いがみたいですね!

それでは、今回はこの辺で!

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