【悲劇】Jリーグで起きたクラブチーム消滅


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こんにちはナビゲーターの愛衣です。

こんにちはアシスタントのまあやです。

さて、まあやちゃん。
前回は「全日空横浜サッカークラブ」の公式戦ボイコット事件を解説したけどちゃんと覚えてる?

もちろん、覚えてますよ。
この事件の影響で日本にプロ選手が誕生したんですよね。

よく覚えていたね。
えらい。
えらい。

もっと褒めてください。
まあやは褒められて伸びる子です。

よしよし。

この事件について知りたい方はこちらの動画をご覧くださいね。
今回はその続きなんですよね?

うん。
本日は「横浜フリューゲルス消滅」について解説するよ。

お願いしまーす。

全日空は横浜フリューゲルスがJリーグに参加する際に単独での支援は無理とあって、当時大手ゼネコンの佐藤工業と共同出資という形をとったわ。
当時はタイミングが悪いことにバブル崩壊で日本経済は大打撃を受けていたからね。
ちなみにチームの正式名称は「全日空佐藤工業サッカークラブ」で呼称が「横浜フリューゲルス」なの。
フリューゲルスのフリューゲルはドイツ語で「翼」という意味。

航空会社の全日空にはぴったりな名前ですね。

まぁ、名付けたのは全日空だからね実はこの横浜フリューゲルスJリーグのクラブとはしては唯一横浜以外にもホームタウンを持っていたの。

えっ!
Jリーグは1チームに付き1つのホームタウンじゃないんですか?

Jリーグができた当初は九州地方にJリーグのクラブがなかったこともあり横浜フリューゲルスだけ「特別活動地域」として長崎県、熊本県、鹿児島県の3県で活動が認められていたの。

横浜には他に横浜マリノスがいましたからね。
その影響もあるのかな?

そうね。
開幕当時のJリーグは水曜日と土曜日に試合が行われていてホームスタジアムはマリノスと同じ三ツ沢公園球技場だったからスタジアムの日程調整とコンディション維持のためっていうのもあったのかもね。

週に2回も試合していたの?
かなりの過密日程ですね。

リーグに10チームしかいなくて1シーズン、2ステージ制だったからね「特別活動地域」はJリーグが開幕する当初からアビスパ福岡がJリーグに加盟する前の1995年まで続いていたの。

九州にJクラブができたからお役御免って感じなんですね。

さて、まあやちゃん。

はい。
なんでしょう?

この横浜フリューゲルス、どんな選手がいたか知ってる?

えっと。


誰だろう。
分からないです。

意外とみんなが知っている選手達がいたんだよ。

誰ですか?

横浜フリューゲルスに改名してからの初代監督は元日本代表監督の加茂周監督

大物監督ですね。

アトランタオリンピックで日本代表キャプテンの前園真聖選手。

ブラジルを倒し「マイアミの奇跡」を起こした時の代表キャプテンですね。

元日本代表のGK楢崎正剛選手

後ろは、マリノスの川口選手ですね。
ライバルって感じですね。

そして、MFの三浦淳宏選手あとは、元日本代表でボランチの山口素弘選手北京オリンピックで代表監督をした反町康治さんも選手時代はフリューゲルスに在籍していたわ。

かなり豪華な顔ぶれですね。

あと、意外なところでは日本代表で国際Aマッチの出場数最多記録保持者の遠藤保仁選手

遠藤選手もフリューゲルスだったんですか?
てっきり、ガンバ大阪の顔だと思ってました。

高校卒業後の1998年に横浜フリューゲルスへ加入し高卒ルーキーながらリーグ開幕戦の横浜マリノス戦でいきなりプロデビューしたわ。

しかも、横浜ダービーですね。
仲村俊輔選手とマッチアップしてますね。

でも、加入したその年に横浜フリューゲルスが消滅しちゃったから1年で移籍を余儀なくされるの。

新卒で入社した会社が1年で倒産したみたいな話ですね。

そうね。
でも、横浜フリューゲルスに在籍していて、今も現役選手(2022年現在)でやっているのは遠藤選手だけね。

そもそも、どうして、フリューゲルスは消滅してしまったんですか?

共同出資社の佐藤工業が本業の経営不振のためクラブ運営からの撤退を表明したのがトリガーになっているわ。
全日空も本業が赤字に陥っており単独でクラブを支える余力がなかったの。

Jリーグのチームって地域密着の独立したチームで企業に属するチームではないんですよね?

そうなんだけど、やっぱり、アマチュア時代に企業チームでやっていたのをプロになって地域密着の独立チームでやりなさいって言われてもいきなりやれっていうのはどうしても無理があったの。
Jリーグ初期の頃は企業チームの色合いがまだまだ残っていたわ。
その辺りは、初代Jリーグチェアマンの川淵三郎も分かっていて、向こう10年で地域密着の独立したチームが定着すればよいって言ってたくらいよ。

確かに、変化が大きすぎていきなりは変われなさそうですね。

「特別活動地域」として、九州も準ホームタウンにしていたので横浜での人気はあまりでなかったのよ。
地域密着チームには程遠かったの。

ライバルにマリノスがいますもんね。

そう。
それでそのマリノスに吸収合併されるの。

マリノスと合併!

全日空はマリノスの親会社日産自動車との協議の結果主導権を持つマリノスにフリューゲルスが吸収合併されることになりフリューゲルスというクラブチームは事実上消滅することになったわ。

マリノスに話を持ち掛けたのは同じ横浜を本拠地にするチームだから?

それもあるかもしれないけど、この合併話はJFAが主導で行ったって噂ね。
「Jリーグからクラブをなくすわけにはいかない」「消えるくらいなら、クラブ同士の合併にしよう」って話があったみたい。
噂だけど。

なんか、あんちょくですね。

それだけ、チーム消滅はJリーグのために良くなかったってことだね。
まぁ、表向きには合併だけど、事実上は消滅なんだけどね。

サポーターの反応はどうだったんですか?

合併発表後で初の試合となった10月31日のホームのセレッソ戦で試合後にサポーター各団体が合同でスタジアム前の広場に座り込み合併撤回を求めてクラブフロントとの話し合いを要求したわ。
選手も街頭で合併撤回の活動に加わり全国で62万を超える署名が集まったの。
その年のホーム最終戦では試合後のセレモニーで当時監督だったエンゲルス監督がクラブの存続と救済を訴えるアピールを日本語で行ったり、フリューゲルスファンとしても知られていたサッカー大好きタレントの川平慈英さんが存続支援を明言するなど、メディアでも社会問題として取り上げられたわ。

社会現象にまでなったんですね。

それでも12月2日、両クラブの合併が調印されたわ。

サポータたちは無視されたんですね。

そうね。
これについては賛否両論があると思うけど、個人的にはもう少し発表が早ければ、別の道もあったかもしれないわね。

その後はどうなったんですか?

合併調印後に天皇杯が開幕したわ。
フリューゲルスとってはこの天皇杯がクラブとして最後の大会になったの。
エンゲルス監督は僕は勝ちたい。
最後まで勝ちにいきたいし、フリューゲルスの強さを見せたい。
と涙を流しながら選手たちに訴えたそうです。
これを聞いた選手達からは「強いフリューゲルスを見せよう」という一言でクラブが一丸となったわ。
この時のフリューゲルスは本当に凄くて、3回戦の大塚FCに4-2で勝利、4回戦、ヴァンフォーレ甲府に3-0で勝利、続く準々決勝はジュビロ磐田に2-1で勝利、準決勝、鹿島アントラーズに1-0で勝利とついに決勝まで駒を進めたわ。

すごい!
それで、決勝はどうなったんですか?

決勝は1999年1月1日、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で清水エスパルス戦が行われたわ。
この試合勝っても負けても、フリューゲルスにとっては最後の試合になったわ。
結果は2-1で清水エスパルスを破り、涙の優勝を果たしたわ。

神がかってる!

本当に伝説の大会だったわ。
思い出しただけで涙がでちゃう。
(ウルウル)

なんか、悲しいですね。




っていうか、思い出しただけって愛衣さんって何歳なんですか?





歳のことは聞かないで。


てへ。
怒らないでくださーい。

もう。


それで、その後はどうなったんですか?

それでもサポーターはあきらめなかったの。
合併回避が無理なら代替案として、新クラブ結成に動いたわ。
そして、1999年1月「株式会社横浜フリエスポーツクラブ」を運営会社として横浜FCが設立されたわ。
事実上Jリーグの下のカテゴリーになるジャパンフットボールリーグ(JFL)へ準会員としての参加が特例として認められたの。

本来なら都道府県リーグ→地域リーグ→JFLって進まないといけないんですよね?

そうなの。
普通ならJリーグを目指してクラブを作っても、各リーグに2部、3部があるからどんなに順調にいっても10年くらいはかかるんじゃないかな?
そんな横浜FCはゼネラルマネージャー(GM)に奥寺康彦氏、監督にピエール・リトバルスキー氏を招聘。
元Jリーガー22人と選手契約したの。

すごい顔ぶれですね!
それで、1年目はどうだったんですか?

JFLで優勝したわ。

優勝!

すごい!

その実績が認められて、JFLの正会員になったの。
翌2000年も優勝して、シーズン終了後、2001年からのJリーグ加盟が承認され、J2参加が決まったわ。

横浜FC強いですね!
2年でJの舞台に戻ってきたんですね。

でも、マリノスからフリューゲルスという名は返還されることはなく、J2昇格の際に、フリューゲルスとは別の存在であると奥寺GMが明確にしたため、元フリューゲルスサポーターの中には横浜FCから離反する動きも見られたわ。

奥寺さんも冷たいですね。
フリューゲルス復活を夢見たサポーターはショックだったでしょうね。

現実はなかなか難しいんでしょうね。
以後、横浜FCはフリューゲルスとは異なる、新しいクラブとしての歴史を重ねる事になったわ。
クラブの歴代成績にもフリューゲルスの記録は加算されない事になったの。
ちなみに、知ってると思うけど、1999年のシーズンから横浜マリノスは横浜F・マリノスに名称を変更したわ。

あの『F』ってフリューゲルスのFだったんですね。

そうなの。
フリューゲルスのF。

横浜の3クラブに全日空が絡んでいるのは、こういう経緯があったんですね。

複雑だけど、こういう事ね。
さて、まあやちゃん。
ここまで、振り返ってみて、どうだった?

やっぱり、自分が応援したチームがなくなってしまうのは、寂しいですね。

そうよね。
こういう悲劇は繰り返してはいけないよね。

私も含めて若い世代にはフリューゲルスがあったことすら知らないと思います。
こういう悲劇は後世に語り繋いでいかないとダメですよね。

そういう意味も込めて、このテーマを選んだの。

さすが、愛衣さんです。

それじゃ、話疲れたから本日はここまで。

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